建設グラフインターネットダイジェスト

〈建設グラフ2002年5月号〉

interview

後編へジャンプ

有珠山噴火災害から復旧・復興へ

有珠山と共成した災害に対応できるマチづくりを

北海道虻田町長 長崎 良夫 氏

長崎 良夫 ながさき・よしお
昭和 4年 10月 15日生
本籍 北海道虻田郡虻田町
昭和 21年 3月 旧制伊達中学校卒業
昭和 23年 7月 虻田町役場勤務
昭和 44年 11月 水道課長
昭和 52年 4月 総務部総務課長
昭和 53年 2月 総務部長
昭和 53年 10月 助役選任(就任)
平成 6年 10月 助役退任(任期満了)
平成 10年 6月 町長に就任
平成12年3月31日の有珠山噴火から2年。泥流や地殻変動により、地域経済をはじめ、道路や公営住宅などの公共施設被害を受けた虻田町では、現在でも復旧・復興作業に全力をあげて取り組んでいる。また、去る3月31日には、再び活気溢れるマチを取り戻すためメモリアル復活祭が行われた。その噴火時の被害状況、今日に至る復興の経過と今後の課題、展望などを長崎良夫町長に伺った。
──有珠山の噴火から約2年間が経過しましたが、当時の様子と被害状況は
長崎
今回の噴火は、規模としては小さい方でしたが、住民の生活圏から近い300m地点や、災害時の避難、物資輸送に必要な国道・町道からの噴火だったことから、被害は大きくなりました。
とりわけ、最も被害を深刻にしたのは泥流でした。洞爺湖温泉地区には噴火して4日目に泥流が流れましたが、もしも住民の避難が遅れていたら、人的被害があったと思われます。
この泥流災害では、洞爺湖温泉地区の公営住宅や学校、図書館、保育所などの公共施設が全壊しました。また地殻変動により、上水道と下水道の埋設物が破壊され、被害は相当なものでした。
──公共施設の復旧が、急務ですね
長崎
激甚災害の適用を受けて、現在、復旧作業に取りかかっており、公営住宅も昨年12月で大体完成したので、避難仮設住宅に避難していた人は、みな戻っています。
工事中のものは小学校と道路で、道路は大小あわせて、140箇所に上り、中でも特に大きかったのは、市街地と洞爺湖温泉を結ぶ泉公園線です。現在、通行してるのは仮道路で、先月から本工事に着手し、平成16年3月完成を目指しています。
下水道は、処理場が虻田市街地にあり、温泉地区からはトンネルでしたが、噴火口が近かったので、全壊しました。今後は、国道がトンネルになる予定なので、そこに下水道を併設させてもらうことになり、復旧に目処がついたところです。
他にも、国道や道道、漁港、砂防事業なども今年から始まります。
──今後の噴火に備えた安全対策は、どう構築しますか
長崎
有珠山の噴火周期は、20年から30年で、我々は古くからここで生活し、また今後も生活しなければなりません。そのため、有珠山と共成したマチをつくらなければなりません。そして、周期に従って噴火が予測できますから、有珠山の特徴を掴み、火山性の地震がおきると避難をすることです。
そこで現在、ゾーンを設定し、あまりにも有珠山に近い区域内には、公共施設等は建設しないことにしています。住宅も、危険区域に近い場所には建てないようにしています。
公共施設の整備に当たっては、避難所を兼ね備えたものとします。建築中の洞爺湖温泉小学校も、屋体は避難所を兼ね備えています。
また今回は、水道が全滅し、また消防機能が麻痺した反省から、そのあり方も見直さなければなりません。水道はこれまで、水源を1ヶ所に集約した方が、コスト面で有利と考えていましたが、災害時の水源確保のためには、数カ所に分散することが必要です。そこで、洞爺湖温泉地区と市街地の2ヶ所に水源地を設置することになりました。同じく消防署も、今まで温泉地区と市街地を1本化してきましたが、2つに分けました。
──役場庁舎の建設も本格的に取りかかりましたね
長崎
3月末から、役場庁舎と消防庁舎そして防災センターを併設した施設として建設しています。現在の庁舎は60年が経過し、木造建築なので、噴火時には災害対策本部として機能しませんでした。消防庁舎は、泉北地区にあり、地殻変動によって沼ができて浸水し、使えなくなりました。
──発注に関しても、普段とは違う発注方式を採用しましたね
長崎
安く建設する手段として、設計・施工を一括する方法を考えました。通常は、先に設計をしてから入札しますが、コンペ方式として逆提案をしてもらう設計・施工一括方式による技術提案を採用しました。そして8社を指名し、住民代表者や学術経験者、役場職員、消防職員などによる審査委員会で、その提案の中から選考しました。
結果的には、約7割の低予算で建設することになりました。また、本体工事、電気工事、機械工事を分離発注せず、一括して施工することも、建設費を抑えられた要因だと思います。
役場庁舎改築に併せ、緊急避難道路として、駅舎と庁舎を結ぶ陸橋も建設する予定です。現在、庁舎側の住民は、もし災害がおきると、逃げる場所が駅舎側の国道37号線しかありません。しかし避難ルートは、線路で遮られているのが現状です。役場建設地と駅舎は高低差がありますが、駅からエレベーターであがり、そのまま庁舎へ来られるようにする予定です。
──噴火によって、マチづくりの方向性もかなり変わってきますね
長崎
噴火に強いマチづくりと言っても、噴火それ自体には対応できませんから、やはり有事には避難することが大前提で、避難後に、なるべく早く復旧できるマチづくりをしたいと思います。
また、泥流被害の大きさを思えば、泥流の流れる地域には、一切の公共施設を建設しないことがポイントです。泥流が流れた危険地域には、公共建築の代わりに緑地や運動公園などを整備します。前回の復興事業で、砂防施設を整備したので、温泉街での被害区域は、かなり狭めることができました。これらの砂防施設は、平時ではレクリエーション施設あるいは観光資源として活用していきたいと思います。

(後編)

──基幹産業の被害状況は
長崎
町の産業の主体は7割が観光で、農、漁業の経営規模は小さいものの、今回の噴火時はまさにホタテの稚貝を間引きする、みみずりの作業中で影響が出ました。これは放置すると成長してしまうので、1日たりとも間をおけないのですが、噴火によって出漁ができませんでした。今後は、常に出漁できる体制を維持確保するためにも、漁港の整備が必要です。有珠山に近い漁港ではなく、なるべく離れた大磯漁港の建設を進めています。
また農業も、有珠山麓のすそ野は、比較的安定した土地で理想的ですが、その土地が噴石などで全壊しました。今まではビートなどを栽培してきましたが、噴火を転機に農業転換を図り、通年型で収穫できるようにビニール栽培に切り替え、現在、イチゴなどを栽培しています。虻田は避暑地でもあり、温泉もあるので、そこに年間を通じて供給できるようにしていきたいものです。
──観光は、一時期、訪問者数が落ち込んで懸念されましたが
長崎
観光客の落ち込みは、噴火のせいと見られがちですが、それだけではなく、一般的な経済情勢を反映した側面もあります。しかし、昨年も皆さんからの温かい支援観光がありましたので、約70%ぐらいの状態に回復してきました。これは前回の有珠山の噴火より、かなり早い回復です。
しかし、修学旅行は、ほとんど戻っていないのが現状です。これを回復するために、全国的にキャラバンなどを動員しました。何とかして修学旅行に利用してもらえる状況に戻さなければなりません。ところが、父兄も先生方も、やはり危険は避けようとしています。そのため、噴火は完全に収まったことをアピールする安全宣言が最も必要だと思います。今後は、地域のイメージチェンジを図り、災害対策本部も廃止して災害復興対策委員会に切り替えようと考えています。
今までは、洞爺湖温泉と景観、温暖な気候で観光客を呼べましたが、それに依存しすぎた反省はあります。したがって今後は、噴火によってできた火口や、地殻変動で崩壊した構築物、断層、沼などを逆に観光資源として利用し、散策できるコースもつくる考えでいます。
──火口に行く散策路といえば、去年からすでに設置されていましたね
長崎
昨年4月に、町職員と一般のボランティアにより、枕木を並べた手作りの散策路をつくったのですが、これが大変好評を博して40万人も人々が訪れました。
今年は、この散策路を拡大させ、4月20日から開放します。その他にも、噴火によって西山にできた沼や、破損した建物などに応急処置を施し、自由に観光客に見てもらえるようにしていきます。将来は修学旅行で体験学習できるような施設にしたいですね。これによって修学旅行需要も、だいぶ回復して来ると思います。
──虻田も高齢者は多いと聞きますが、高齢者対策にはどう取り組んでいますか
長崎
虻田は気候も温暖で、雨や雪も少ないことから、北海道内や本州から、老後を虻田で暮らそうという人が多いのです。しかし、有珠山の裾野に居住する人が多いので、安全を確実にしなければなりません。
昨年10月に幸清会という福祉法人によって、総合福祉施設が整備されました。これは、民間の福祉施設が実施してくれたもので、大変に助かります。このような民間団体が主に活動しており、現在は、痴呆性の施設も建設中です。この他にも知能障害児のための施設などもあり、高齢者対策だけでなく、福祉全般について、民間施設が充実していますので、町としては大いに助けられています。
──虻田町の発展を担う子供たちの教育には、どう取り組みますか
長崎
残念ながら現時点では、私たちの通勤時に子供たちの姿を見る機会が少ないのが実状です。だから、子供が活発に動き回るマチにしていきたいと思います。
噴火により壊滅した洞爺湖温泉小学校は、現在地より3、4km離れた月浦地区に建設中で、自然の豊かな所で良い育成・教育が行われることを期待しています。
子供たちに、マチに残ってもらいたいので、虻田高等学校の教育に特色を持たせるべく、女子はバレー、男子は野球の振興を看板に、後志管内、檜山管内から幅広く生徒の募集をしています。
──最後に4年間の感想と抱負を
長崎
災害対策に追われた4年間だったと思います。今回の噴火では、私は前回の噴火も役場に勤務していましたから、まったく未経験ではないので戸惑うことが少なかったと思います。災害時に一番必要なのは、いかに上手く住民を避難させるかに尽きると思います。
今後も、災害復興・復旧に全力を挙げ、色々と町が抱える問題に対処しながら、町民が笑顔で暮らせるマチにしていきたいですね。

HOME