建設グラフインターネットダイジェスト

〈建設グラフ1999年11月号〉

interview

福祉と新港が市政の両輪

石狩市長 田岡克介 氏

田岡克介 たおか・かつすけ
昭和20年10月11日生まれ、石狩市出身
昭和43年3月国学院大字文字部卒業
43年4月石狩町役場勤務
47年6月企画調整課公害担当主査
48年4月企画調整課調整係長
53年4月民生部公害課長
55年6月総務部参事
(石狩湾新港管理組合派這)
59年4月総務部参事
60年4月石狩湾新港管理組合派遣
63年4月石狩湾新港管理組合港務部業務課長
平成6年10月総務部理事
(石狩湾新港管理組合派遣)
7年4月企画調整部長
8年3月石狩町助役就任
8年3月石狩湾新港管理組合副管理者
(平成11年5月28日退任)
8年6月㈱石狩振興公社代表取締役
(平成11年5月28日退任)
8年9月石狩市助役(市制施行)
9年4月石狩市公務サービス㈱代表取締役
(平成11年5月28日退任)
11年4月石狩北部地区消防事務組合副管理者
(平成11年5月28日退任)
11年5月石狩市助役退任
11年6月石狩市長就任
札幌市石狩市
茨戸下水処理場管理組合副管理者
札幌広域圏組合議員
石狩北部地区消防事務組合議員
近年、発展著しい石狩市の市長に、前助役だった田岡克介氏が就任した。同氏は、馥郁たる文化生活都市を実現するため、福祉政策と、それを経済的に支える石狩湾新港の活性化を2つの支柱として市政を構築しようとしている。いわば福祉という上部構造と石狩湾新港という下部構造のバランスをとりながら、双方のボリュームを拡大させていく戦略だ。かつて自らも石狩湾新港管理組合に出向していた経験もあるだけに、とりわけ石狩湾新港への思い入れは強い。また、真の民主主義を実現するため、全国でも初めての市民参加条例の制定も目指している。同氏に、市政の展望や課題などを語ってもらった。
――前職である助役当時は助役としての気苦労があったと思いますが、市長になってはトップですから、カジ取り役としての理念や政治性が問われることになりますね
田岡
市長と助役とでは、最終的な決定権の重みにおいて比較のしようがないくらい違いますね。強いリーダーシップとしての意志を表すことは、自分に責任を持つことになります。助役はいろいろな意見を、コーディネーターとして調整する役割がありました。市長も各方面の意見を聴くのは当然ですが、最後に意志決定して責任を取るのは自分ですから、市民の目には(市長と助役は)似たような仕事をしているように見えるでしょうが、まったく違いますね。
――そのための足場となる庁内体制の整備や財政問題には、どう取り組まれますか
田岡
財政はどこの自治体も厳しいのはご他聞にもれません。石狩市の財政力指数は幸いにして全道5番目に位置する体力がありますが、「豊かさ」は別の次元です。したがって、財政力をいかに上手く活用し、運営するかが問われるわけで、過疎の町とは基本的に違いがありますが、カジ取りの厳しさは同じです。
特に石狩市は行政需要が多種多様で、まさに建設途上の町ですから、いくら資金があっても足りません。
――石狩はどんな方向の発展を目指していますか
田岡
エネルギッシュな町というのか、産業基盤は財政力そのものに結び付くことになります。したがって、まちの収入源は石狩湾新港の企業群ですから、これを大切にしなければなりません。そして財源が伴う市民の福祉事業と企業の活性化を同じバランスで進めていく必要があります。
――石狩の基幹産業は
田岡
流通関係です。石狩の業種別生産額は水産が3億5千万円、農業が30億円、流通工業関係が約3千億円ですから、流通が主産業といえます。
したがって、石狩湾新港が元気であるほど、まち全体も元気になるので、新港の活性化は市民福祉事業の充実に直結します。
――その石狩湾新港では、最近ようやく土地も動き出したのでは
田岡
残念ながら、これだけは今なお厳しいですね。いま、企業は土地を求めるのではなく、売却処分している時代ですから。資産を増やすのではなく、借りたり遊休地を有効活用するのが主流になっていて、土地の売れ行きという面では一気に好転する環境にはないように思います。
ただ企業からの問い合わせは少しずつ増えてきていますので、不況も底を打ったという実感はあります。まだ1年間に数件ですが、かつては問い合わせすらなかったのですから。
――どんな業種からの問い合わせが多いのですか
田岡
やはり倉庫、物流センター、それに食料品関係です。
――後背地の集積機能をいかに高めるかが、どこの港湾にも共通の課題になっていますね
田岡
石狩湾新港の場合、現在、五百数十社が立地していますが、流通関係がこれだけ集積している港湾の背後地は全国でも珍しい。逆に製造業がありません。入ってくる荷物はありますが、出ていく荷物がないことが問題です。
――中継地になっているのですか
田岡
ある程度、消費物資が入ってきて、荷姿を変えて小口ロットで札幌へ出荷されているのが現状です。
本来は原料が入り加工して出荷されるのが最も健全な姿なのです。
――その方向に持っていくにはどうすればいいですか
田岡
北海道全体に製造業が乏しく、農業生産品が主力になっています。
石狩は紙パルプや自動車など基幹産業に匹敵する産業がないだけに、本来は装置型製造業が進出するのが望ましいことなのですが。
――具体的にはどんな分野に狙いをつけていますか
田岡
例えば、バイオテクノロジーなどに狙いを定めていますが、ハイテク産業は製造業よりも荷姿そのものが小さい。しかも、パーツ生産ですから大きなロットになりません。
したがって今や、40年代、50年代に始まった装置型産業の誘致は不可能に近いですね。
――北海道全体を見ても、基幹産業の農業は、素材そのものは他府県に負けていませんが、課題は加工です
田岡
農業の付加価値事業は、古くから缶詰やチーズのような乳製品がありますが、もはや国際競争力を失っている商品ですから、むしろ鮮度や地元ブランドといった違う意味の価値感を求めてくれる消費者だけに提供しているのが実情です。
北海道の一次産品を加工して工業品に変えることは長い命題ではありますが、この百年の歴史の中で、この取り組みにはいまもって答を出せないうちに外圧が先に来てしまいました。
また、流通のスピード化、高速化によって、あえて加工しなくても生の牛乳を新鮮なうちに出荷したり、朝もぎの野菜をその日の夕方には東京市場に出すなど、むしろ流通のスピードアップによって消費が拡大しています。北海道産業の百年間は、まさにこれに集約されるといえるでしょう。
食料基地として国産品の自給率レベル向上の面で考えると、寒冷な気候でコメや麦のストック機能を持たせることは可能でしょうが、産業として育つかどうかは疑問です。
――ところで、市長として産業、福祉以外に、内政面で特に力を入れている施策は
田岡
市民参加条例です。これからの行政は市役所が作った政策を市民に理解してもらう時代ではなく、最初の段階から市役所と市民が対等の立場で意見を整理しながら、役所が市民の意見をコーディネイトしていく時代だと思っています。
そのために、市民が行政に参画するための条例化を考えているところです。すでに、都市マスタープランや、緑と環境を一本化など、市民参加の下でどういうまちづくりを進められるかの試みが先月から始まりました。これが私の行政仕組みの中の一番の基本です。
このほか「市民にやさしいまちづくり」の一環として、来年4月から始まるチャイルドシートの義務化に向けて、普及のための助成金を出します。
――市民参加は民主主義の基本ですが、多様な意見をいかに集約するかが難しい
田岡
最大の問題は意見を聴く方向です。百人百様の意見を一本化するのは最初から無理だと思っています。その中で最終的に市長が何を選択するのか、その決定が良いかどうかは4年後の選挙で問われるのです。
大切なのは、百人の意見をもう一度市民にフィードバックして、決定までの経過を公開することです。意見の一本化に時間をかけていたらタイミングを失ったり、不可能な問題もあります。
まちづくりの基本的な方向、住民との利害関係に係る問題、環境に及ぼす影響が大きい問題などを対象として、来年には条例化をしたい。これは、恐らく全国でも初めてだと思います。
――それを踏まえた上で、あるべき石狩の姿をどんなキャッチフレーズで表現していますか
田岡
選挙公約でも揚げましたが、私は「馥郁たる文化生活都市」を作りたいと考えています。その上に元気な産業都市であってこそ、豊かな福祉行政ができるという意味においては、右手には地場産業の活性化があり、そして左手には「馥郁たる文化生活都市」をイメージしています。表裏一体でどちらが欠けてもなりません。独創的な福祉事業であっても財源が確保できなければ限界があります。
約80億円の税収のうち30数億円は新港関係です。これが増えるような元気な産業都市を作っていきたい。今後も企業誘致に向けて手厚い支援策を推進するほか、国際コンテナを台湾、香港、ロシア航路にも広げていくつもりです。

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