interview

地域の個性化戦略が農業活性化への道

強力なリーダーと村外の応援団が必要

前・農林水産省総務審議官 本田浩次 氏

本田 浩次 ほんだ・こうじ
昭和19年生、埼玉県上尾市出身、東京大学経済学部卒
昭和43年農林省入省
昭和58年食品流通局消費経済課食料消費対策室長
昭和59年大臣官房総務課広報室長
昭和60年北海道農務部次長
昭和63年構造改善局農政部構造改善事業課長
平成 2年食品流通局市場課長
平成 3年構造改善局総務課長
平成 4年大臣官房総務課長
平成 5年大臣官房参事官兼食品流通局
平成 6年大臣官房審議官兼食品流通局
平成 7年水産庁漁政部長
平成 8年現職
農林水産省の総務審議官・本田浩次氏にご登場いただいた。本田審議官は昭和60年から3年間、北海道庁で当時の農務部次長を務めた経験があり、いまも北海道農業の強力な応援団長的な存在。ご自身、北海道に勤務したことで農政をより肌で感じ、長い行政経験の中でエポックになった時期だったという。北海道の印象を交えながら、“元気の出る農業農村づくり”を語ってもらった。

北海道で目からウロコが落ちた
――昭和60年から3年間、北海道農務部次長として勤務されましたが、この地域に対してはどんな印象を持ちましたか
本田
そうですね、私は今なお北海道が大好きです。特に、農林水産行政に携わる者としては、北海道への赴任、生活を通じて非常に貴重な経験が得られました。
北海道は農林水産業が地域経済の中心になっている典型的な地域であり、農政担当者にとって、まさに仕事冥利につきる所だといえます。
農林水産省は極めて地域性の強い国政機関であり、その業務も地方を対象とするものです。しかし、私自身は埼玉県の生まれで、入省以来、もっぱら東京都内で勤務していたので、道庁に出向し札幌で生活してみて“目からウロコが落ちる”思いでしたね。東京から1千キロ離れた場所での単身赴任生活と、年間30数回もの上京に伴い、家族がいる東京での生活との二重生活をしたおかげで、二点間での発想が、三点間に広がったわけです。これは、私にとって発想法が変わる一つのきっかけになりました。
その結果として、日本は存外、大きな国であるということ、日本列島の北端から南端までの距離がいかに長いかを実感させられました。というのも、札幌から那覇までの距離は3,400キロで、この長さはロンドンからアテネまでヨーロッパ全土にまたがる長さです。また、北海道の面積は国土の22%で、小さな県から順に入れると、22県が収まることになります。函館から根室までjrの距離は817キロです。これは東京から青森県三沢市まで、また、東京から広島県三原市までの距離に匹敵するのです。北海道の広さはデンマークの倍で、オーストリアと同じ面積。それでいて、人口はデンマークと同じ。さらに札幌、東京、那覇三地点の最低気温を比較すると、35度から40度もの格差があるのです。
したがって、日本列島というものを画一的に捉えることはできません。農業政策はそうした地域条件に合わせて考えることが必要で、私はこのことを痛感したのです。霞が関でただ観念的に考えるのでは駄目です。札幌で実際に生活してそのことを体で感じることができました。

牛乳の消費拡大の仕掛人
――北海道庁在職中には、どんな政策を手がけましたか
本田
一つは若手経済人を中心に『ミルクを飲んで北海道の景気を良くする会』を作りました。この発案者は、他ならぬ私だったのです。
北海道は、冷害になると景気が悪くなるといわれます。昭和60年当時の北海道のコメの生産額は2,200億円でした。冷害で、作況が1割落ちると、220億円の生産額が落ちるという計算になります。一方、当時の酪農の生産額は3,500億円でした。昭和40年から60年までの20年間に北海道の酪農は年率平均6%の割合で生産額が伸びてきました。ところが、当時は牛乳が余っていて計画生産をしていたので、6%相当つまり210億円に相当する生産額が失われているわけだから、冷害と同じだという論法なのです。
このことをある大手企業の札幌支店長に話しましたら、興味をもっていただき、地域密着型営業展開として関連会社挙げて牛乳の消費拡大に協力してくれることになったのです。これがきっかけになって、jc(青年会議所)を中心とする『ミルクを飲んで景気を良くする会』の発足につながりました。興味深いことに、メンバーには農業関係者が誰もいませんでした。

北海道は経済界と農業の歩調が一致
――経済界では、農業に対する保護政策を批判する声もありますね
本田
当時、行革臨調の煽りで過保護農政との批判が経済界に高まっていました。しかし、北海道の経済人らは反対に『農業はもっとしっかりやってくれ』と主張してきたのです。このように、東京では農業に対する逆風が吹いていましたが、北海道では経済界が追い風となっており、そこに何の違和感もないのです。
これはつまり、農業者と経済界とが共通利害の土俵に立っているということでしょう。したがって、東京や大阪での発想がむしろ間違っているのではないかと思えるほどで、この事情は今なお変わっていないと思います。


元気なムラにする三つの条件
――今年の北海道は冷夏で作柄が心配されています。その上に北海道農業も過渡期を迎えていますが、これらを踏まえてアドバイスをいただきたい
本田
北海道の士幌や富良野のように、生産が活発で元気のいいムラがあります。また、お嫁さんが殺到する村として有名になった長野県川上村では、最近、小学校を増築したそうです。
このように地形や市場などの条件が同じであっても、国内には活力のあるムラとそうでないムラとがあります。むしろ、川上村などは標高1,400mに位置しているのですから、決して条件が良いとは思えない。このように、どちらかといえばあまり条件の良くないムラが活発だったりするようです。
なぜこうなるのか、考えてみました。思うに、元気なムラには三つの条件があるようです。第一に、優秀なリーダーが地元にいることです。しかも、それに協調する仲間がいて孤立していない。したがって、町長と農協組合長の関係が良好でないムラは駄目ですね。第二は、地域の条件に合った農業づくり、地域づくり、つまり地域個性化戦略を打ち立てて長期にわたり計画的に投資をしていることです。第三は閉じこもっていないこと。閉鎖的ではなく、外部に応援団がいることです。
したがって、そうした方向で、外に目を向けて交流することが、活力あるムラづくりの条件だと思いますね。

――農水省の構造改善事業は『農業・農村の活性化』を目標としていますね
本田
これをキャッチフレーズとして表現するなら、『生き生きとして取り組める農業の確立と皆が住んでみたくなる農村づくり』となります。これは単に農政としてでなく、産業政策として基盤の強い農業を確立するということです。 例えば農業と食品加工業、農業と余暇産業というように、農業とそれにまつわる関連産業を一体的に捉え、農業が地域経済活性化の推進主体としての役割を果たしていくことが必要なのです。
また、景観も美しく緑豊かで、しかも潤いがあって文化性が高く、都市の人も住んでみたくなるような農村づくりを進めることにより、農業と関連産業に従事する人々が定住してくれるような村をつくることが、構造改善事業の中心的な目標になります。
その意味でも、北海道農業は日本の農業にとって大変、重要な地域であり、まさに今が大事な時期なのです。構造政策は、基本法農政の下では見事に成功しました。しかし、北海道の人々が皆、幸福を感じているかどうかは疑問です。というのも、これほど条件が整っているにも関わらず、むしろ農家戸数が減っている現状があるのです。したがって私たちは、農業を若者が魅力を感じる産業にしなければなりません。
しかし、その一方ではこの農業をやりがいのある仕事と積極的に評価し、就農意欲を持つ若者が増えつつあり、今年の農業白書は、その点を分析・指摘しています。また、文化人の中にも農業に携わっている人が結構いますね。農林水産業は魅力的な仕事という感覚が芽生えてきており、ライフスタイルも多様になってきていることの現れでしょう。

地域でアグリビジネスを展開
――農業の経営形態を変えるという発想がありますね
本田
例えば、酪農地帯にヘルパー会社を設立し、60歳で現役引退したらヘルパー会社へ移行して、週に2日間働くとします。そうすれば、酪農家に完全週休2日制を導入することができます。ヘルパー料金は、年金を加味して五分の一くらいの料金にするという方法も考えられます。また、新規参入の予備軍もヘルパー会社で研修をしてもらうのが良いでしょう。そして、生産物は、素材のままで出すのではなく、全てに付加価値を与えて出荷するという方法も考えられます。
私は、そうした地域社会の仕組みが作れないものかと考えているのです。地域においてあらゆる機会を利用してアグリビジネスを展開するということです。

――大蔵省の公共投資の見直しについては、どのように受け止めていますか
本田
できるだけ効率的に投資をするという考えなのでしょう。農林水産業の公共投資は産業基盤だけではなく、集落下水道のように生活基盤の投資も同時に実施していくものです。
今後は技術開発、情報基盤の整備、都市との格差是正に向けた公共投資がさらに必要になりますが、一方で、時代の要請に応じた見直しは避けられないでしょう。

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