〈建設グラフ2001年4月号〉
interview
可能性の大きい淀川スーパー堤防
淀川に舟運の復活を
国土交通省 近畿地方整備局 河川部長 坪香 伸 氏
坪香 伸 つぼか・しん
昭和51年 京都大学大学院修士課程修了(土木工学専攻)
昭和51年 建設省入省
昭和63年 奈良県河川課長
平成 3年 建設省近畿地方建設局姫路工事事務所長
平成 6年 同地方建設局企画部調査官
平成 7年 建設省河川局防災・河岸課海洋開発官
平成 9年 建設省近畿・地方建設局淀川工事事務所長
平成11年 同地方建設局河川部長
平成13年 国土交通省近畿地方整備局河川部長
大阪、奈良、京都といった古都を抱える近畿地方整備局の治水の歴史は古いが、明治初期にオランダ人技師の来日によって、近代治水整備の基礎が構築された。現代は、淀川のスーパー堤防に象徴されるように、新しい工法に基づき、まちづくりを含めての河川整備が行われている。局河川部の坪香伸部長に、管内治水整備の近況と今後について語ってもらった。
――近畿地方の治水整備の状況は
坪香
管内では、淀川の本流が明治20年から43年までの間に開削されています。それが明治改修の最も大きな仕事でした。かつては、本川が中津川、神崎川、大川の3川に分かれていました。それらを新しい淀川に集約し、線形を正して洪水の被害から大阪市内を守るようにしたわけです。
当時はそれほどでもありませんでしたが、現在は淀川の近くに家屋などが密集しています。淀川の一つの特徴は、大河川であると同時に典型的な都市型河川でもあると言えます。
――河川の安全度が高まれば高まるほど、人が河川に接近してきますね
坪香
河川整備に伴って、交通機関が発達したことも一因と言えます。淀川では古くから舟運が発達しており、京都と大阪を結ぶ水運の動脈だったのです。当時は、大阪城の近くの「八軒屋」というところが、現在でいう天満橋ですね。そこには三十石船の船着き場があり、京都の伏見まで運航していました。
三十石船は、小さな船で喫水が浅いものでした。当時の淀川の平均水深は50pほどと浅いものでしたが明治初期にオランダ人によって改修されました。水路確保というのは、意外と困難な作業ですが、この時は平均50pしかない淀川の水深を1.50mに確保する工事でした。この際に用いられたのが粗朶沈床(そだちんしょう)と言う工法です。これはツルでできた網の中に石を入れて沈め、構造物を作る工法です。この構造物によって水を河の中央に寄せ集めることができます。これが明治初期に入国したオランダ人の改修計画であり、河川工事だったのです。これは現在も一部に残っていますが、この施工によって、蒸気船が就航できるようになったのです。
――河川土木の基礎は、オランダにありですね
坪香
明治の初めはそうでしたね。淀川を国が直轄で工事した時が、すなわちオランダ技術が登場した時でもあります。とりわけ、先の改修工法については、デ・レーケという人物が有名です。
――当時のオランダでは、一般的に用いられていた工法なのですね
坪香
そのようですね。しかし、粗朶沈床というのは、日本で、この時に初めて試験施工したのです。この構造物が現在でも残っているところもあって水たまりができた箇所に、多様な水生生物のすみかとなっています。
淀川の場合は、そうした工事の最中に大水害があり、明治18年に破堤し、大阪地域のほとんどが水浸しになるという状況がありました。そのため舟運のための工事だけでは、水害を防ぐことができないことから、オランダ人の指導の下に治水対策も合わせて行うことになりました。
その一つが、新淀川の開削です。これによって旧淀川と新淀川の間に水位の差が生じたため、そこに毛馬の閘門を作ることになります。開削が完成した年に、天満橋から京都の三条まで京阪電車が開通します。これを契機に、それまでは水上輸送が主だったのが陸上輸送へと転換して現在に至ります。
一方、大川は戦後、水質が悪くなったため、毛馬の水門から新淀川本川の水を旧淀川へ導入しています。また大阪市内に雨が多く降ると、内水が発生するため、同じく毛馬にポンプ場を設置しました。このポンプ場は、日本最大級のもので、1秒間に330tを排出しています。明治から今に至るまで、淀川水系はこのような変化がありました。
――都市河川として古くから淀川は多角的に活用されていたのですね
坪香
現在、我々が取り組んでいるのは、そのような土地利用を有効に使うための「スーパー堤防」です。例えば、外国のロンドンと比べてみますと、そこでは一番低い場所をテムズ川が流れ、民家は周辺の丘陵地に点在しています。
ところが日本では、もとが低地だったため、水害に備えて堤防を作りました。堤防を作ったことによって、人々は生活できるようになったのですが、その結果、洪水に対してはほとんどを堤防に頼る状態になっています。明治改修から約100年が過ぎますが、その当時からさらに人口が密集している今日、果たして現状の堤防で守りきれるのかという疑問があります。これに対して「スーパー堤防」を実施することになったのです。
――計画では、どれくらい整備する予定ですか
坪香
淀川では今のところ、約6kmほどが完成または工事中です。大阪、平野を流れる淀川の両岸合わせて約90kmが整備の必要な区間です。しかし堤防は、長年掛けて築かれてきたものです。淀川自体、大昔から古い川の上に堤防を作ったりしてしだいにできたので、地盤も堤防も均一ではないのです。
したがって、「スーパー堤防」は、優先順位をつけながら工事をしています。その場所とは、明治改修の時に破堤した箇所や、旧川跡地、土地利用が先行されている所などです。
連続して「スーパー堤防」を築くというのは、確かに最終目標ですが、これらの優先個所を部分的に整備するだけでも、淀川全体の安全度は、徐々に上がっているのです。
――「スーパー堤防」は、土地利用と治水安全度の向上と一石二鳥の効果が期待できる理想的な事業ですが、現在着手しているのは、大河川の淀川や東京の荒川くらいですね
坪香
最近の河川整備は、街づくりと一体となって行うというのが重要となっています。市街地が密集した所や資産の集積している箇所は「スーパー堤防」が建設できますが、例えば山間部などでは、家屋が点在しており、また農地が多い場所は、治水安全度をあげる方法として、土地利用などを踏まえて行って家屋の地上げや、輪中堤なども活用して行っていくことが重要と考えています。
今までは、必要用地を買収して堤防を作り、それを河川管理者が管理するという方法でしたが、「スーパー堤防」の場合は、土地を買収せずに土地の高さを上げる形になるので土地の所有権はかわりません。地盤を上げるので、一旦は更地になりますが、その時にさらに付加価値の高い土地利用を計画し行うことができるのです。
――見方を変えると、「スーパー堤防」を契機にして、再開発に着手することができるということですね
坪香
ただ、私たちの悩みは河川の沿川よりもむしろ、街の中心である市役所の周りや駅の周りの方が各自治体の街づくり事業の優先度が高いことです。
――地盤を上げることで付加価値が上がるため、資産価値も上がることからデベロッパーにとってもメリットは大きいのでは
坪香
「スーパー堤防」を施工すると、状況はガラリと一変します。堤防の幅や勾配が変わり、決壊の心配がまず無くなります。そこにビルやマンションを建てても、以前のような堤防による閉塞感が無くなり、見晴らしが良くなります。そうした意味では、土地利用に効果があると思います。
――これまではウォーターフロントが注目され、河川敷の中での展開に関心が持たれてきましたが、今後は市街地への展開が進んでいくことになりそうですね
坪香
こういう事業は、今後も拡大されていくと考えています。先にも延べましたが、現在の堤防を整備し始めて明治以来約100年が経過し、そして今「スーパー堤防」が計画され実施され、全体的には治水安全度は確実に上がっています。
その一方で、我々が注目しなければならないのは、現在の土地利用は高密度である一方、地下開発も進んでいます。つまり土地利用が多層化しているのです。大阪は現在、南も北も全部含めると、地下面積が日本一とのことです。
そこで、地下街に対する浸水対策は非常に重要になってきます。これについてはあらゆる分野の人々と対策を検討していますが、とりあえず情報をできるだけ地下街に流したいと考えています。
また「水防法」が近々改正されて、浸水予想区域を公表することになります。我々はその対策に積極的に取り組まなければなりません。
――昨年は福岡の地下街や東京の地下鉄などで、大きな浸水被害がありましたね
坪香
治水事業というのは、時間が掛かりますので、完成するまでの間や、また完成してもそれを越える災害が起こり得ることを皆さんに理解していただきたいです。とかく洪水というのは、日常的に起こるとは、誰もが思っていない災害です。例えば、地震や火事などは、今日、明日にでも起こりうる災害だと認識していますが、洪水はそのように思われてはいないようです。
したがって、事前に浸水予想区域を発表するのも一つの手だと思いますし、また新しい試みですが、これをハザードマップとして電話帳に掲載したりしています。これによって、水害に対する自覚を少しでも持っていただきたいと考えています。
――水害がいかに恐ろしいものかが理解できるようにシミュレーションビデオを作成したケースもありますね
坪香
我々も図面で予測や状況認識を持つことができますが、皆さんに分かりやすい形で洪水の恐ろしさを再現して見てもらうというのは、大変重要なことだと思います。そのために我々もビデオも製作し、CD-ROMにして配布しています。これによって、関心を持っていただけるようです。
――衝撃的な映像を目にすれば、洪水に対する認識が変わってきますね。ところで、淀川治水の今後の展開は
坪香
淀川は上流に琵琶湖があり、琵琶湖総合開発事業などにより、淀川の治水対策も進んできました。舟運については、現在では鉄道と道路が発達しましたので、いまや舟運の旅客はほとんどありません。
一方、「スーパー堤防」の整備に使用する土などを、道路で運搬するのではなく、舟運で運搬させるということに関心が持たれています。
――どのように実現させるのですか
坪香
現在、何ヶ所か船着き場を作っています。船は大阪港から淀川に入りますが、上流の伏見までは、川底が浅いためにうまく進めない部分も残っているので浚渫を行う必要があります。
「スーパー堤防」の建設にあたって、年間30万立法メートルから40万立法メートルくらいの土砂が必要です。その運搬に市街地の道路を使うと渋滞や公害問題になるので、土砂をストックできる場所を作り、そこから船で運ぶ考えです。
もう一つは、これが将来的に整備されれば、同じ大阪市内や京都への物資輸送にも活用してもらえる可能性があります。また観光を含めた旅客や、この辺りは住宅地が多いので、日常的な交通手段としても確保できると思います。
ただ、それには問題があります。淀川大堰は閘門が無いため、新淀川を下って大阪港までは進めません。そこで、閘門を建設しようと計画しています。またかつて、地盤沈下が非常に激しかったことから大川は、橋が非常に低くなっていて、満潮時には橋桁と水面との間が1mを切るという箇所もあります。そのため満潮時には通行できない船がほとんどです。同じく、新淀川にしても、橋が低いところがあります。特に阪神・西大阪線の橋などでは、満潮時には2m50pほどになります。ここは治水上からも橋を何とか高くして、航行に支障の無いようにしなければなりません。しかし、大規模な橋なので、持ち上げるのは困難を極め、検討を要します。
――鉄道会社、道路管理者と協力して建て直すという方法もあるのでは
坪香
鉄道橋もそうですが、例えば、道路橋を持ち上げるとなると、周辺の道路全てに影響してきます。そうなると、まさに街づくりが前提となった鉄道橋並びに道路橋の再整備へと話が広がってきます。
――関係者には、そうした考えはないのですか
坪香
淀川についてはまさにその考えで進めています。
淀川の三川合流地点は、現在は干拓され農地となっていますが、かつては大きな池だったのです。この池の治水事業が太閤秀吉の治世から続けられていますが、以前は少し雨が降ると、周辺が常に浸水していました。そこで、その池から川を分離させました。
これによって、上流でも下流でも治水事業が行われるようになり、現在も淀川に住んでいる1,400万人の生活用水と治水対策が行われています。淀川水系に限っていえば、これからも高度に土地利用して、残された環境を大事にしつつ、再生を併行させていくことになります。
――最近は、そうした河川整備や管理についても地域住民の声が反映されるようになりましたね
坪香
河川の整備計画については現在、流域委員会を組織しています。淀川の流域が広いので、委員会の組織も大規模となるためメンバーの選定方法や審議方法を準備会議で検討し、2月に第一回の流域委員会を行った所です。
整備計画を作っていく時には、内容もさることながら、プロセスも注目されますから、色々な人々の意見を聞かなければなりません。
――行政組織は、今年から国土交通省となりましたが、今後の治水行政はどうあるべきだと考えますか
坪香
国土交通省になって、街づくりと一体となる治水事業が求められています。今までのように河川を中心として事業を進めるのではなく、かなり広がりを持った、地域を広く見渡す事業を展開していかなければなりません。
都市計画や補助事業などが整備局に移譲され、「スーパー堤防」と合わせた他事業との展開も予想されます。お互いが協力することによって治水効果を上げることができるのです。したがって、舟運についても、大阪や京都だけではなく、神戸や他の地域も含めた事業展開ができ、一つの大きなメリットとなっていくでしょう。
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