<建設グラフ96年10月号>

interview

小さな都市でもキラリと光る世界都市

文化性を取り込み空間の創造と、『自然との共生』を追求

釧路市長  鰐淵俊之 氏

鰐淵 俊之 わにぶち・としゆき
昭和11年生まれ、釧路市出身、北大獣医学部獣医学科卒
昭和36年4月釧路市役所に勤務
昭和43年6月釧路市役所を退職
昭和44年10月釧路市議会議員に当選(1期4年)
昭和49年4月釧路短期大学講師に就任
昭和52年3月釧路短期大学講師を退任
昭和52年10月釧路市長に初当選、現在5期目
<公職歴>
昭和62年6月〜平成元年5月北海道市長会副会長
昭和62年6月〜全国市長会産炭地都市振興協議会副会長
昭和63年6月〜平成元年8月全国市長会副会長
平成 3年5月〜北海道港湾協会会長、全国市長会港湾都市協議会副会長
平成 3年10月〜全国市長会国立公園関係都市協議会会長
平成 5年6月〜全国市長会水産都市協議会会長
平成 6年8月〜12月国土庁国土計画基本問題懇談会委員
平成 7年3月〜農林水産省中央漁業調整審議会委員
平成 7年12月〜環境庁中央環境審議会特別委員
<賞罰>
平成 7年4月藍綬褒章
次期衆院選をめぐり最近何かと話題の多い釧路市の鰐淵市長。市長に就任して既に19年間。この間、同市は下水道や舗装、土地区画整理などの都市基盤整備が飛躍的に進展、今や道東の拠点都市としてラムサール条約会議などいくつかの国際会議も誘致するなど、『小さな都市でもキラリと光る世界都市』を標榜するまでになった。5期目の総仕上げに入った鰐淵市長にまちづくりの理念などを聞いた。

インフラ整備は飛躍的に発展
――まず市長のまちづくりの基本的なお考えから伺いたい
鰐淵
私が市長に就任したのは昭和52年ですから、今から19年前のことです。当時の釧路は道内の主要都市の中でも社会資本の整備が非常に遅れており、例えば、下水道の普及率は7%、道路の舗装率は15%、小中学校の鉄筋化は50%といった状況でした。“悪路市”の汚名を拝したり、魚やドブの臭いがして不衛生の印象がありました。まさに西部的な街だったのです。
そこで私は、都市として必要最低限の都市基盤整備を早急に進めることが市長の使命だと考えまして、毎年80億から90億円、さらには100億円のオーダーを超える勢いで公共事業を実施してきました。この19年間に下水道整備だけでも総額1,000億円の事業費を投入し、処理場を三つ、ポンプ場は九つ設置したほか、大きな管渠も敷設、下水道の普及率は90%までになりました。また、道路の舗装率も90%、学校の鉄筋化は97%の水準に達しています。
そのほかに基本的な施設としてサッカー場、陸上競技場、野球場、テニスコート、ゲートボール場を含めた大規模運動公園、社会教育施設の生涯学習センター、武道館やコミュニティー施設なども造り、インフラ整備は完全に終りました。
その意味でもまちづくりは第2段階に入ったといえます。つまり、建物や街路の整備だけではなく、そこに住む市民が「心豊かに、快適に生活を営み、しかも自分たちの町並みを誇りに思えるようなまちづくり」、これが私のモットーです。
公共建築物は街並みのアクセント
市の建物をご覧になっていただければお分かりと思いますが、四角いようかんを切ったような画一的、効率的なものではなく、建物自体に意味があります。彫刻を配置するなどして芸術性や文化性を取り込み、空間の創造に配慮した設計になっています。
博物館は日本建築学会賞の栄誉に輝きました。東中学校はユニークな校舎として世界中に紹介されました。フィッシャーマンズワーフ、湿原展望台、生涯学習センターもそうです。街並みにアクセントを付けるユニークな建物が多いでしょう。設計会社にすべてを任せるのではなく、必ず私自身がコンセプトを伝えているのです。
外来者の皆さんは『釧路は彫りの深い、変化に富んだ、面白い街だ』という印象を持たれるようですが、そういったイメージづくりをすることが私のアイデンティティーなのです。
19年間の長い年月にわたって市政を担当させていただきましたので、アイデンティティーに基づいたまちづくりに継続して取り組み、一定のまちづくりが出来た思っています。
ハードからソフト化時代へ
――最近はソフト面を重視する傾向がありますね
鰐淵
そうですね。建物を造っても、それが活用されなければ意味がありません。どう生かされるか、どうエキサイティングなものを利用者に与えられるか、ということを加味したまちづくりが、これから要求されると思います。経済もそうそういつまでも高度成長を続けるわけではありませんから、着実なまちづくりが大切です。
生涯学習センターは年間30万人の市民が利用していますが、ハードとソフトが相まって初めて満足していただけるのではないでしょうか。
エコロジー志向
――自然との共生については、どのようにお考えですか
鰐淵
まちづくりの重要なファクターですね。私のテーマにもなっています。地域の皆様と運動を行い、釧路湿原を国立公園にするのに5年かかりました。いま湿原など釧路を訪れる観光客は年間240万人に上ります。19年前はわずか70万人でした。
ラムサール条約締結国会議の開催後、釧路が内外から脚光を浴びるようになり、今年も東アジア国立公園会議が当市で開催されました。大小合わせて毎年三つぐらいの国際会議が市内の国際会議場で開かれています。『小さな都市でもキラリと光る世界都市』。だんだん世界に開かれた都市になってきました。
ウォーターフロント整備に全力
――ところで本年度の目玉事業としてはどんなものがありますか
鰐淵
目玉としてはフィッシャーマンズワーフを中心にしてウォーターフロントの整備に力を入れています。お陰さまで市民の利用や観光客の入り込みも増えています。
最近は岸壁炉端の、素朴な味が人気を呼んでいます。ここに7階建ての自走式駐車場を建てますし、道の芸術館も建設が着工されています。そういったことでウォーターフロント整備は今年の大きな事業になります。
もう一つは旧釧路川です。パリのセーヌ川やロンドンのテムズ川のように、河川の両サイドを整備して、市民が散策を楽しめる豊かな空間を作ります。今、岸壁の整備が進められており、更にリバーサイドパーク構想を進めています。
また、釧路公立大学は今年、経営学科を新設しました。競争率は10倍でした。これもビッグ事業の一つです。若い学徒が釧路に定着することは、それだけ若者の文化なり産学協力などの面で地域の活性化へ大いに波及効果が期待されます。
来年1月に湿原国体
来年1月、湿原国体が釧路で開催されます。私が市長になって2度目の国体です。いま建設中のアイスアリーナがこの11月に完成します。3,700人が観覧でき、1年を通してスケートが出来ます。完成後、インターハイ、そして国体が開催されます。釧路のウインタースポーツにとっての拠点です。
――建設省の都市拠点整備事業であるシビックコア事業がスタートしましたね
鰐淵
JRの協力を得てここに合同庁舎が建設されます。私が市長になった当時は市の中心部にあった旧国鉄の車両管理場がよもや移せるとは思ってもいませんでした。当時ですら移転補償や代替え用地の取得に膨大な費用がかかると言われていました。
しかし、区画整理事業で実施しますので移転補償だけで済みました。将来は国合同庁舎や行政施設などを含め一大都心部になります。
――市として他の施設建設の計画は
鰐淵
「こども遊学館」という子供の城を造ります。青少年科学館や中央児童館、学習、遊びの機能を含めた複合施設をシビックコアの中に建設する計画です。
さらにウォーターフロントに将来は水族館を含む環境体験館を考えています。釧路駅とシビックコア、ウォーターフロントとの間に回廊性を持たせたいと思っています。100ha規模の運動公園には総合体育館の建設構想もあります。
――交通網の整備も着々と進んでいるようですが。
鰐淵
これからは西港の時代です。マイナス14mのバースを何バースか造りますと、外国から50,000t級の大型船が入り、飼料やチップが安く手に入るなど経済面の波及効果が期待できます。空港ターミナルビルも立派になりました。東京、大阪、名古屋、福岡、仙台に続いて、来年は広島、新潟への直行便就航を働きかけています。
鉄道の高速化事業も完成に近付き、釧路―札幌間が来年からは3時間45分で結ばれます。高速道路も早晩出来るでしょうから、陸海空のネットワークが整い、交通や流通の拠点性を生かしたまちづくりを今後も推進していきたいと考えています。

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