昭和30年代、車を持つことそのものが夢であった。40年代になると、カローラをはじめとする大衆車には手が届くようになったが、クラウン・セドリックはまだ夢であった。その頃「いつかはクラウン」というコマーシャルが流されていたことを思い出す。今思えば、先見の明に富んだメッセージであった。そして今、そのコマーシャル・メッセージの予言のとおりクラウンも夢ではなく単なる車種選択の一つでしかなくなった。我が国が豊かになった時、いつの間にかテレビから「いつかはクラウン」が消えていた。
そもそも車の機能は道路を自由に走ることであり、価格の差は機能とは関わりない居住性の良さとかオーディオなどの付属品によって付けられているにすぎない。いやそれ以上に、高い車イコール高級車を持つことは、それに見合う社会階層に属していることを暗に他人に知らせたいという自己表現・自己顕示の欲望がなせるものではないだろうか。
女性を相手とする商品にはこの種の欲望を上手に使っているものが多い。化粧品はその成分に差がなくても、いい香りのする香料を加え、見栄えのする容器に入れ、高い値段を付けたものの方が売れるという。ハンドバッグ・靴・洋服などのブランド商品に至っては、どうしてこんな値段というくらいの高額のものを競う合うように身に付けている。美しくなりたい、美しく見せたいという女性の「夢」がビジネスの源泉となるのも豊かになった故である。
考えてみれば、受験競争に勝ち抜くための教育投資も子供の将来に大きな夢を託すからである。子供に夢を託さない親はいない。いや、親の大部分は最大の夢を子供にかけていると言っても過言ではない。受験ビジネスの繁栄もまた親の子供にかける夢の大きさ故である。
健康で少しでも長生きしたいという願望もまた、人間共通の夢であろう。健康診断を多くの人が受けるようになり、フィットネスクラブにみんなが通うようになったのも最近のことである。まさしく「夢」に投資するようになった我が国はしみじみ豊かになったと思う。ただ、豊かさ故に将来の方向を誤らないように願う。
夢は簡単に実現できないから「夢」なのである。夢を不可能と断じてしまえば、それは夢でなくなり、幻となる。夢はその見はじめは不可能に近いものであるが、決して永遠に不可能というものではない。人類の歴史は夢の実現の歴史であった。そして夢の実現には科学技術の発展が大きな貢献を為している。今では当たり前になっていることもその昔には夢のまた夢であった。電気、電話、自動車、飛行機、新幹線、テレビ、コンピューター、青函トンネル、明石海峡大橋、超高層ビル、宇宙飛行などなど、まさに夢のない人生はつまらない。
「anything's possible −不可能はない−」は、pga(アメリカプロゴルフ協会)のモットーでもある。超ロングパットが入ったり、バンカーショットが直接カップインするなど、奇跡的な場面の連続を衛星放送のpgaゴルフ中継のプロモーションビデオで見た人もいることでしょう。スポーツの名場面、感動の瞬間は「anything's possible」そのものである。人生もまた、「anything's possible」が喜びの時である。試験の合格、子供の試合での勝利、難航した仕事の成就、自宅の完成、病気からの回復、ゴルフで初めて80台をマークした時、初めての海外旅行などなど、この先どんな 「anything's possible」が待ち構えているか楽しみである。
土木事業でも夢から始まるプロジェクトがある。表−9は世界のビッグプロジェクトの構想から完成までの年数を示している。いずれも完成までに2世代3世代以上にまたがる長い期間を要している。永く後世まで偉大な貢献をするような事業は、その多くが構想時点では「そんなこと出来るはずがない」「あんなことを考えるのは非常識」「白昼夢でも見ているのだろう」と非難や無理解の渦中に一度は置かれている。そこで諦めたら実現はない、そのようなプロジェクトが表−9である。技術は夢を現実にする力を持っている。その技術を開発するのは技術者そのものである。技術者は夢ビジネスの中で生きている、いや生かされている。技術者が夢を捨てたらもはや技術者ではない。「anything's possible −不可能はない−」はプロゴルファーばかりでなく技術者のモットーにもすべきである。
※は予定