前回オリンピックのことを話題にしたが、もう少しそれを続けたい。日本の成績は残念と言うかこれが世界の中における実力なのであろうが、金メダルが3個に終わった。前回のバルセロナでも指摘されたマスコミの過大な期待と過激な取材がおそらく何の反省もないまま、今回も繰り返されていたのではなかろうか。大体自己ベストなどそう簡単には出ないものなのに、自己ベストを出さなかった選手は実力を出せなかったと決め付けてしまう。オリンピックに出場するだけで大変なことなのに、選手によっては周りの過剰な反応のおかげで失意の中で帰国を余儀なくされるなど、毎度悲劇が繰り返されるのは本当に残念である。ともかく、異常とも言えるほど勝敗にこだわりすぎる。そのためか、試合後の日本選手の相手選手との応対が気になってしょうがない。勝って大喜びするのは当然だが、それでも負けた相手に対する思いやりはスポーツマンいや人間としての礼儀として欠かせないはずである。ところが、日本選手の多くは負ければ負けたで悔しがったり、しょげたりするだけで、勝った相手をたたえる様子があまり見られない。メダルを取った日本選手の表彰台での振る舞いもお互いをたたえ合うという光景が少ないように見えた。これを見た子供たちが将来世界の桧舞台で同じようなことをするのではと心配になる。
オリンピックとは比べようもない小さな世界での私的な経験ではあるが、個人的に何回か外国人と接したことがある。そのいくつかを紹介しながら、日本人の国際性を考えてみたい。
アイスホッケーのちびっこ国際大会が札幌で開かれた時のことである。外国チームは試合中大人顔負けのきびしいプレーをしていても、いったん勝負がついた後は互いの健闘をたたえあうのに対し、日本のチームは勝てば大喜びするだけ、負ければしょげるだけで、外国チームどうしのようなさわやかな試合後の交換が見られなかった。日頃外国人と接する機会が少ないからやむを得ない面もあるが、大人がちょっと注意すれば子供たちはすぐ気付くはずのことが、子供以上に大人たちが勝負にばかりこだわり、そんなマナーを教えることなど眼中にないというのが日本人の国際感覚であるらしい。勝負の結果も大事だが、試合後のさわやかな交流も同じくらい大事ではなかろうか。
次は、アメリカの大学生をホームステイした時に、事務局でたまたま目にした札幌のホームステイ希望家庭のリストのことである。そこには相手の選択に関する事項があり、男女・人種に対する希望が選べるようになっていた。驚くことに半分くらいの家庭が白人の女性を希望しているのである。そのような選択をしなかった我が家には当然のことながら、むくつけき(もちろん冗談でそれぞれ個性ある素晴らしい男性ぞろいであった)男ばかりが割り当てられることになる。もちろん、娘さんのいる家庭が見たこともない外国人男性を希望したくないのは分からないでもないが、それにしてもホームステイ希望家庭においてすらという割り切れなさが残ったものだ。
先のちびっこアイスホッケー大会に参加した外国の子供たちは札幌チームの子供たちの家庭にホームステイしたのだが、ある国の子供だけはアイスホッケーに関係ない家庭にホームステイせざるを得なかった。ある国とはアイスホッケーの強国で、日本人があまり好きではないとしている国であった。多分子供心に他チームと差別されたという気持ちを抱かせたのではなかろうか。その子達もすでに20代、今日本に対してどのように思っているのであろうか。一方、我が家にもホームステイしていたが、他の国の子供たちにしても、特定の国の子供だけが同様な扱いをされていないことを知っていた。
しかし、そのある国のチーム対ライバルになるアイスホッケー強国のチームとの決勝戦後の光景はいまだに忘れられない。自国こそアイスホッケー世界一という自負を子供ながらにみなぎらせた迫力のある激しい試合であったが、終了と同時にリンク上のそこここで互いの健闘をたたえあう姿が見られたのである。お別れパーティーで、ある国の子供たちが他国の子供たちから歓迎され、分け隔てなく交流しているのを見て少しだけほっとしたものである。
我が家には大人子供合わせて10人以上の外国人をホームステイで迎えてきたが、その都度新発見があった。同じ東洋系でも中国人は麺類を食べる時ずるずるというすする音を出さないこと、お土産を渡す時必ず好き嫌いを確認してから渡すこと(多分嫌いと言ったら渡さないのだろう)、嫌いなものに対してはただちに「no thank you」とはっきり言うことなどである。中でもきわめつけは、アメリカからの子供が自分の家に出すために書いた絵はがきの中身である(投函するよう頼まれただけであるが、絵はがきであるから文章が見えてしまう)。そこには「すべてが遅れている。しかし、僕はそれに慣れようとしている。」という一文があった。そう言えば、その子を近くのある大学に散歩がてら連れていった時のことである。
- 小生「これが大学のベースボールグラウンドだ」
- その子「芝がない」
- 小生「日本は雨が多いので芝の管理が大変だ」
- その子「自分の住むところも雨が多い」
- 小生「・・・・」
- (追)最近そのグラウンドは外野だけ芝に変わった。
以前東京ドームでたまたま日米学生野球を見ていた時、国旗掲揚・国歌演奏という場面で、場内アナウンスが起立脱帽の要請をしているにも関わらず、近くにいた親子連れの多くは立とうともしなかった。それは自分にとって得にならないことはしないというように見えた。もちろん、アメリカの選手はそれを目の当たりにしているのである。これが日本人の国際性の悲しい現実なのかと複雑な気持ちにさせられた。少なくとも北海道では同じようなことがないことを信じたい。
円高で一見豊かになったかのような気分に日本人がひたっているところもあるが、所得では表せない物心のいろいろな面で、まだまだ立ち遅れている。それを克服して真の先進国となるのではないだろうか。しかし、残された時間はあまりない。