物より心の豊かさを選ぶ人が増えている。心の豊かさを実感させるものとして、良い人間関係もあるが、自然との触れ合いもまた重要な要因である。そこで「自然」という言葉について考えることにする。日本人にとって「自然」は無上の価値を持っているのではないだろうか。なぜならば、「自然」という言葉を使う時、好ましいもの、くつろげるもの、安心できるものという絶対的に「よいもの」意識が背景にあるのに対し、「不自然」は、好ましくないもの、許されないもの、避けたいもの、不安なものという絶対的に「悪いもの」意識が背景にあることに気付くはずである。たとえ台風や地震などの自然災害を受けても、それを防ぎきれなかった場合、人間的要素は人災として非難するが、自然そのものには天災として非難を及ぼすことはない。天災は自然の摂理などと言って妙に納得してしまう。自然の摂理を持ち出されると、議論を超越してしまう。それほどまでに「自然」は絶対不可侵とも言える価値を与えられている。
これに対し、英語の「natural」と「unnatural」の間にはそれほどまでの絶対的な差を感じない。科学史・科学哲学の第一人者である村上陽一郎氏は著書「文明のなかの科学」の中で次のように書いている。「人間は被造物という身分では他の自然物と同じ立場でありながら、しかし『神の似像』として造られ、自然物を支配することを神から許されたという点において、人間だけが他の自然物から決定的に区別される極めて特殊・特別な存在となる。ここにユダヤ・キリスト教の『人間中心主義』と呼ばれるものの本質がある」
一方我が国においては、自然は畏敬の対象であったり、信仰の対象となることはあっても、このような自然を支配するという考えは本来なかったものである。
いずれにしても、人間は自然の摂理に対して挑戦し続けている唯一の生き物である。人間の生存には食料、水、エネルギーの確保が不可欠であるが、地球全体や日本国土を考えても、地域によって気候・土壌・資源に大きな差がある。原始社会は気候・土壌・資源という生存条件の天からの賦与におおむね従順な生き方をしていた。ところが、文明の発達によって、生存条件が十分賦与されていない地域にもある意味では無理矢理生活するようになった。そのギャップを埋めているのが技術である。北国北海道でも稲作を行っていたり、首都圏自体では賄いきれない水需要を遠くの山間部にダムを造って供給したり、太平洋側の電力需要を満たすため、日本海側に多くの原発を造ったりしている。これらの発想はユダヤ・キリスト教の「人間中心主義」が根底にある西洋近代文明に感化され過ぎてはいないだろうか。自然を畏敬し、信仰してきた日本の伝統的発想はどこに行ってしまったのだろうか。
これまでの経済至上主義の時代はそれでもよかったが、地球環境問題がクローズアップされ、エネルギー資源の枯渇が現実問題となる時代には、自然の摂理をひたすら技術で克服することは、もしかすると子孫の生活ひいては生存を脅かすことになるのではという危惧の念が頭をよぎる。ユダヤ・キリスト教の「人間中心主義」に代わる新たな地球人の生き方が21世紀には必要である。
エネルギー小国の日本が、夏の冷房に莫大な電力を消費する関東以西に多くの人口を抱えたままで本当によいのだろうか。本来は優良農地であった肥沃な平野部に巨大な都市を造ってしまったが、それで間違いなかったと言い切れるのだろうか。大地震が起こることが確実な所に巨大首都を永遠に置いて大丈夫なのであろうか。そう考えてくると、どうも自然の摂理に挑戦するだけの技術志向は将来高いものにつきそうな気がする。例えば、日本の人口配置を少し北に上げるだけで、かなりのエネルギー節約が可能になるのではないだろうか。千歳から成田や関空に行って、ヨーロッパやアメリカ便に乗り換えるのは、どれだけエネルギーと個人個人の時間浪費につながっていることだろうか。これまでは振り向くこともなかった自然の摂理を一度じっくり考えてみる必要がありそうだ。その上で、自然の摂理という視点から国土構造を見直してもよい時代ではなかろうか。技術一辺倒で人間社会が永久に成り立つほど地球環境は無限ではない。
話題を景観にまで展開してみたい。景観を考える時にも、この「自然」「不自然」という概念が常につきまとう。我々が造るものは所詮人工物であるが、人工物だからといって自然の領域に踏み込まないものでもない。例えば、世界的に有名なエッフェル塔やゴールデンゲイト橋にしても、あることがもはや自然になっている。世界遺産の多くも自然そのものではなく、人間が造ったものではあるが自然の領域に達したものばかりである。その意味では、景観設計の極致は時間の経過によって、その存在が自然なものと感じられ、もはやないことが許されないレベルにまで達することと解することが出来る。
たまたま、土木の日記念事業の一つとして[土木写真展]「技術造形家の仕事を訪ねて」がさっぽろ地下街で開かれた。ご覧になった方もいるかと思いますが、そこには日本の近代土木遺産50例のパネルが展示されており、北海道からは札幌大通公園、日本製鋼所室蘭製作所、小樽運河、奥沢水源地ダム、笹流ダム、稚内北防波堤ドームの6例が入っていた。この監修に当たった篠原修東京大学教授は次のように述べている。「僕たちは冷静に考えてみなければならない。時代を追い、先端を競うデザイナーの作品と、寡黙なエンジニアの仕事とを。そのいずれが息が長い本物であるかを。二十年、三十年、いや百年のタイムスパンで冷静に考えてみなければならない。僕たちの子供や孫のためにも。恣意的な形、目新しい形、マスコミ受けのする形を潔しとしないエンジニアの仕事のほうがむしろ、時代を超えて人々に愛され続ける本物の形ではないのかと、」
20年30年土木技術者としてもの造りに携わっていても、後から振り返って満足できる出来映えのものは皆無と言ってよいかもしれない。滅多に訪れることのない格好のもの造りのチャンスには、妥協せず最高の作品を産み出そうという気概が技術造形家としての土木技術者には必要である。
次号が最終回です。