建設グラフインターネットダイジェスト

〈建設グラフ2008年1月号〉

interview

冬の港湾結氷でクレーン船が大活躍

――地域の開発と振興に土木と建設の技術で貢献

安田建設株式会社 取締役社長 安田 最次氏

安田 最次 やすだ・さいじ
昭和27年12月24日 枝幸郡歌登町生まれ
昭和50年3月 日本大学商学部 卒業
昭和50年4月 安田建設株式会社 入社
平成15年1月 安田建設株式会社取締役社長 就任
公職
平成18年4月 枝幸観光協会副会長 就任
平成19年4月 枝幸建設協会会長 就任
平成19年7月 宗谷地方安全運転管理者事業主会副会長 就任
安田建設株式会社
枝幸郡枝幸町幸町57番地5
TEL 0163-62-4111

 宗谷管内枝幸町を基盤とする安田建設株式会社は、農業土木からスタートし、港湾、道路 工事まで幅広く受注している。昭和27年の創業から55年の社史は決して順風満帆ではなかったが、枝幸港の港湾工事で大きく飛躍、磐石の経営基盤を築いた。3代目の安田最次社長に安田建設の歩みを聞いた。
▲安田建設本社外観
――歌登町でスタートしたそうですね
安田
昭和27年に私の淑父の安田正が、安田組を個人創業したのが始まりです。当時は土木工事が中心だったと思います。32年に安田建設株式会社に法人化し、その時の社長が父の勝次でした。58年には本社を枝幸町へ移転、同時に歌登支店を開設しました。 会社は勝次、正ら兄弟4人で切り盛りしていました。そして30年代から40年代にかけて、歌登砂利採取工業株式会社(現株式会社「安田」)を立ち上げています。
――法人化した際のグループの束ね役が勝次氏でしたか
安田
父の勝次が全企業の社長でした。後に兄弟で分けて、父は建設、商事は哲三、正は安田建設の専務から58年に社長となり、平成15年に私にバトンタッチしました。
――社長の略歴をお聞きしたい
安田
私は会社と同じ昭和27年生まれで、今年で創業55年目になります。入社したのは50年で、当時、安田建設の工事高は毎年1億円ずつ伸びていました。私は文系だったので、いきなり営業部門に配属されましたが、実は、私を含めて歴代の社長に技術屋は1人もいないのです。 父は私を役所に連れて行き、「後は勝手にやれ」と言われ、手取り足取り教えてくれたりはしませんでした。それでも、枝幸港の防波堤工事を落札した時は、他の入札に参加社全員が拍手してくれまして、今も忘れません。 社長を引き継いだ平成15年は公共事業が激減し、業界としても最悪の時期でした。私自身50歳近くになっていましたので、覚悟はできており、腹をくくって引き受けました。
▲道央自動車道旭川IC(旭川市)
――農業土木の受注が際立っていますね
安田
宗谷支庁耕地課の受注額は、当社がトップでした。その後、港湾のウエイトが大きくなりましたが、道路工事でも実績がありますから、農業、港湾、道路の三本柱で実績を持つ、業界では数少ない会社だと思います。
――従業員数は
安田
関連会社を含め枝幸、歌登町で直接雇用しているスタッフは約150人。家族を含めると400人程度の生活を支えていることになります。人口1万人規模の町では「大手」に入るでしょうね。
――これまでに印象に残っている施工事例はありますか
安田
枝幸港の港湾工事で、受注額は確か13億円だったと思います。1千d級のケーソンドックが進水したのが昭和51年で、当社が初めて手掛けました。 枝幸町は7つの漁港を有し、オホーツク海では断トツに規模が大きく、昨年の秋サケの漁獲量は150万匹、枝幸漁協の水揚げは85億円を記録しました。
――毛ガニの水揚げも日本一と言われますが、安全な港湾があればこそで、その意味からも安田建設の貢献度は大きいのでは
安田
そう評価していただければ有難いですね。
――公共事業削減で多くの企業が進退を検討しています
安田
いま建設業界は生き残りの競争時代に入っています。技術を磨き、高品質の成果品を納めることが大前提で、発注者もそれを求めています。そのため、技術の裏付けがないと仕事は受注できません。公募型はその典型でしょう。したがって、社員の資質向上と労災事故防止については、うるさく指導しています。 また現場の安全対策の一環として、警察に協力してデイライトを徹底しています。ライトにお年寄り、子どもは反応するので、お陰で交通事故は1件も発生していません。 一方、私自身も現場には毎月1回、必ず出向いています。現場で働く作業員らが稼いでいるわけだから、現場を大事にしたいと思います。「厳しく大事に」が基本です。 一方、枝幸町も歌登町も一次産業が元気なので、30年代に整備された港湾は、40、50年代に規模を拡張してきましたが、寿命もあり、気象条件の変動に応じて規模のさらなる拡大も必要になってきています。 40年代から再編されてきた農業もそのインフラは、更新時期を迎えているので、安田建設としてもまだまだ出番があると思います。
――本業外の活動でも活発ですね
安田
漁協と連携し、ボランティア活動にも力を入れています。冬は港湾が結氷するので、クレーン船を出して氷割り作業のお手伝いを無償で行っています。 平成18年10月に、台風並みの強風で被害があった際は、沖網の引上げを行いましたが、災害の発生時には地元企業が機動力を発揮することが大事です。 とはいえ、災害への対応は1社だけでは難しいので、私の枝幸建設協会長就任を機に、枝幸町と防災協定の調印に向けて準備しているところです。業界内では「大手に任せておけばいい」という意見もありますが、地元で元請の企業が動かないと即応体制は構築できません。大手が下請企業を動かすといっても、重機を持たない企業で対応するのは難しいものです。
▲枝幸港(枝幸町) ▲フローティングドックFD-1000
――この7月には、道教育委員会と「北海道家庭教育サポート企業等制度」の協力企業として協定書に調印されましたね
安田
家庭教育に関する資料等を社内に掲示しているほか、第3日曜日を「道民家庭の日」として家族団らんを啓発しています。 一方、学校側の会社見学の受け入れも柱の一つで、古くから建設業のイメージは芳しくないので、コンピューターを駆使する近代的な職場環境であることを知ってもらいたいと思います。 社内でも声を出さないと意思疎通がなくなるので、朝はまず「おはよう」と声を出すことから始め、比較的風通しのよい社内ムードと職場づくりを心がけています。
会社沿革
昭和27年1月 枝幸郡歌登町南町に安田組として個人創業 組長 安田 正
昭和32年2月 組織変更、安田建設株式会社 取締役社長 安田勝次 就任
昭和55年12月 安田建設株式会社札幌事務所を新設
昭和58年4月 取締役社長に安田正 就任
昭和59年4月 枝幸郡枝幸町字幸町685番地に本社移転
          枝幸郡歌登町西町120番地に歌登支店新設
昭和63年5月 札幌事務所を移転、名称を札幌支店に変更
平成2年3月 稚内市潮見1丁目9番10号に稚内支店新設
平成3年7月 札幌支店名称を札幌本店に変更
平成15年1月 取締役社長に安田最次 就任

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