〈建設グラフ1997年10月号〉

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◆瀬棚町長の証言

瀬棚町長2時間前に現場通過

瀬棚町長 平田泰雄氏

昭和18年1月31日生まれ
平成7年1月初当選
前職:瀬棚町町民課長

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檜山管内瀬棚町の平田泰雄町長が崩落事故を知ったのは、出張先の後志管内岩内町から帰ろうと役場に連絡を入れた時だった。「職員から『島牧村で崩落事故があったので帰れません』と言われ、まさかと驚きました。札幌などへ行くときはいつも通っているし、その日も事故が起きる2時間ほど前に現場を通ったばかりですから」と、今でもショックは消えていない様子。
 帰路は、寿都町から「道道寿都黒松内線」で黒松内町に入り、国道5号で長万部町を経由して、国道37号の内浦湾沿いに長万部町国縫から国道230号に入り、今金町・北檜山町を経て国道229号に乗るという、途方もない遠回りを強いられた。「通常は2時間もかからない道程が、このルートで3時間以上かかった」という。
 役場に到着し、19時に同町長を本部長とする「国道229号第2白糸トンネル崩落事故瀬棚町対策本部」を設置。現地には5〜10名の職員を派遣し、情報の収集と同時に400名程度が常駐する現地合同本部の宿泊・休憩所や食事の手配、ヘリコプターの離発着場所の確保、消防車・救急車の確保、マスコミへの広報対応などに当たっている。
 一方、役場内にも宿直員以外に職員を常駐させるほか、帰宅した職員は自宅待機の状態。現地の食事賄いなどは、商工会婦人部や漁協婦人部、または役場の女性職員らが交代で、ボランティアで参加し、メニューなども工夫しているという。同町長は「ここのように小さい町では、こうしたボランティアが普段から盛ん。都市圏とはその点で違います」と、小さなまちの利点を強調している。
 この事故で島牧村側から瀬棚町に入るには、「当面は島牧村の栄浜から瀬棚の須築まで漁船を使い、そこから車で5kmほど戻らなければならない」という。
 また、地域への影響については「観光シーズンから外れていたのが、せめてもの幸いでした。もしもシーズンの最中だったら、人的被害の出る可能性は高かったでしょうし、旅館や民宿などをはじめ、経済面でも大きな痛手となったでしょう。現状では、町民のほとんどはあまり影響は受けないと思う」と話している。
 しかし、「商店などの、物流が必要な産業には影響がないとは言えない。また、地域イメージが悪くなることも心配です」と沈痛な様子。
 小樽市から積丹半島を経由して江差町に至る路線は、「追分ソーランライン」と呼ばれる観光ルートで、地域振興にも重要な役割を担っている。特に、積丹半島の積丹町沼前から神恵内村川白間の延長8.1kmが開通したのは、昨年の11月。それだけに、同町長は「平成5年の南西沖地震の傷跡がようやく消え、積丹半島の不通区間も解消され、さあ、これからだという矢先にこの事故ですからね」と、口惜しがる。
 ところで、瀬棚町では第2白糸トンネルと同じ国道229号上にある須築トンネルが、開発局の緊急点検で対応方針1と判定されている。
 しかし、「開発局からは『対応方針が1と判定された』と知らされただけで、その詳細な内容については全く知らされていない」という。「もっと具体的に亀裂のある場所や規模などの状況を知らせてくれれば、こちらにも対応の仕方があると思うのに」と、局の情報公開のあり方に不満気だ。「開発局の記者会見では『昨年から亀裂やひびが入っていた』と話しており、非常に不安です」と、表情を曇らせる。
 この須築トンネルについては、新ルートも含めて根本的な対策が計画されていた第2白糸トンネルと違い、全く計画はなかった。このため同町長は「町と町議会で早期に安全な道路整備をと、以前から訴えてきました。予算の制約もあるでしょうが、高規格幹線道路などの高速道路整備とは別枠で、100%とは言わずとも安全なものを造ってほしいと要請し続けてきた」という。
 この結果、須築トンネルでは断崖へのコンクリートの吹き付けが行われているが、同町長は「単なる応急手当てにしか見えない。これで本当に大丈夫なのだろうか」と、不安感は払拭できなかったという。それが本格的な対策工事の一環であることを知ったのは、「工事を請け負った業者から『工事によって岩石が何万Fも出るので、捨てる場所はないか』と相談された時でした」とのこと。


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