石狩市長選挙
斉藤英二(66歳)前市長病気辞任に伴う石狩市長選挙は平成11年6月27日投票、即日開票され、新人の田岡克介(たおか・かつすけ・53歳=無所属・自民、民主、公明推薦)前同市助役が、同じく新人の青山祐幸(あおやま・すけゆき・55歳=無所属)前同市財務部理事、牧野邦夫(まきの・くにお・59歳=無所属)会社社長の2人を破り初当選した。
当選した田岡氏は、昭和20年10月11日生、同町企画調整部長、石狩湾新港管理組合副管理者、町助役、市助役を歴任、石狩市八幡4丁目。
青山氏は、幌加内町出身、早大法学部卒、北海タイムス記者を経て昭和55年旧石狩町役場に入り、総務部長、東京事務所長、企画調整部長を歴任、石狩市花川北2条5丁目。
牧野氏は、旭川市出身、拓殖大商学部卒。広告代理店社員、昭和42年から同市でインテリア会社を経営、石狩市花川北4条2丁目。
□平成11年6月27日石狩市長選挙結果
当日有権者数 41,387人
当日投票者数 23,390人
投票率 56.52%
当選 田岡 克介 12,808票
青山 祐幸 9,715票
牧野 邦夫 658票
【過去の石狩市長選挙結果】
□平成10年12月20日告示
任期満了に伴う石狩市長選挙は平成10年12月20日告示され、現職の斉藤英二(さいとう・えいじ)市長以外に立候補の届出がなく同市の無投票再選が決まった。斉藤氏は昭和7年11月14日生、岩内町出身、北大法学部卒。道労働福祉部労働福祉課長、釧路支庁長、住宅都市部長を歴任。平成7年石狩町長に当選、8年市制施行で初代の市長に就任。石狩町・市時代を含めて31年(昭和42年)ぶりの無競争
□平成7年1月22日投票
現職任期途中辞任(現職の寺内靖治町長逮捕、同町発注工事で収賄罪起訴・4期目)に伴う石狩町長選は平成7年4月23日投票、即日開票され、新人の斉藤英二道元住宅都市部長(62歳)が、新人の佐々木利昭前道議(63歳・5期)、神崎征治同町元町議会副議長(56歳)、羽田美智代同町前町議(42歳)、高田光一同町元町議(55歳)、堀切政義会社社長(43歳)、旗手繁雄共産党員(59歳)を破り初当選。
当日有権者数 37,513人
当日投票者数 24,218人
投票率 64.56%
当選 斉藤 英二 7,318票
佐々木利昭 6,743票
神崎 征治 4,434票
羽田美智代 1,602票
高田 光一 1,482票
堀切 政義 1,474票
旗手 繁雄 917票
□平成4年4月19日投票
任期満了に伴う石狩町長選挙は平成4年4月19日投票、即日開票され、現職の寺内靖治(50歳)町長が、新人の堀切政義(40歳)設計会社社長を破り4選を果たした。
寺内氏は、3期12年の実績と人口5万人を目前に市政移行を揚げ、広く町内の支持を受けた。一方、堀切氏は告示1週間前の出馬で出遅れが響き、反寺内票をまとめ切れなかった。
寺内氏は、昭和16年8月24日生、明治大学経済学部卒。寺内弓道具店役員、同町議。平成7年、現職の石狩町長のままで逮捕、有罪となった。
横路孝弘元知事とは札幌西高の同期で、横路氏は代議士時代から寺内氏の町長選挙の応援は欠かさなかった。
当日有権者数 33,786人
当日投票者数 19,130人
投票率 56.62%
当選 寺内 靖治 11,316票
堀切 政義 7,577票
□昭和63年4月29日投票
任期満了に伴う石狩町長選挙は昭和63年4月29日投票、即日開票され、現職の寺内靖治町長が、新人の石川厚信、吉田寛義氏を破り3選を果たした。
当日有権者数 29,579人
当日投票者数 22,181人
投票率 74.99%
当選 寺内 靖治 10,823票
石川 厚信 10,172票
吉田 寛義 1,021票
□昭和59年4月22日投票
任期満了に伴う石狩町長選挙は昭和59年4月22日投票、即日開票され、現職の寺内靖治町長が、新人の山崎道弘、勝部雄一、国府谷盛明氏を破り再選を果たした。
当日有権者数 25,684人
当日投票者数 20,221人
投票率 78.73%
当選 寺内 靖治 9,239票
山崎 道弘 6,131票
勝部 雄一 3,914票
国府谷盛明 785票
□昭和55年5月5日投票
現職の佐々木昭三町長病死に伴う石狩町長選挙は昭和55年5月5日投票、即日開票され、新人の寺内靖治氏が、同じく新人の町田真也氏を破り初当選した。
寺内氏は、任期途中で急死した佐々木昭三元町長の弔い選挙で出馬し。町田氏は保守系候補の道庁OB。
当日有権者数 20,931人
当日投票者数 16,215人
投票率 77.47%
当選 寺内 靖治 8,093票
町田 真也 7,997票