地方選挙News
選挙結果
岩内町長選挙
現職岩城氏初戦以後は無投票
任期満了に伴う岩内町長選挙は平成11年9月7日告示され、現職の岩城成治(いわき・せいじ、66歳)町長以外に立候補の届け出がなく同氏の無投票5選が決まった。
【過去の岩内町長選挙結果】
任期満了に伴う岩内町長選挙は平成7年9月5日告示され、現職の岩城成治(62歳)町長以外に立候補の届け出がなく同氏の無投票4選が決まった。
□平成3年9月8日告示
任期満了に伴う岩内町長選挙は平成3年9月8日告示され、現職の岩城成治(58歳)町長以外に立候補の届け出がなく同氏の無投票3選が決まった。
□昭和62年9月27日告示
任期満了に伴う岩内町長選挙は昭和62年9月27日告示され、現職の岩城成治(54歳)町長以外に立候補の届け出がなく同氏の無投票再選が決まった。
□昭和58年10月9日告示
任期満了に伴う岩内町長選挙は昭和58年10月9日投票、即日開票され、新人の岩城成治(50歳)同町前助役が、同じく新人の岡本正巳(共産党推薦)氏を破り初当選した。
当日有権者数 15,358人
当日投票者数 10,520人
投票率 68.50%
当選 岩城 成治 7,208票
岡本 正巳 3,250票
浜頓別町長選挙
革新系に保守相乗りで現職3選を果たす
任期満了に伴う浜頓別町長選挙は平成11年9月12日投票、即日開票され、現職の市川昇(いちかわ・のぼる、63歳)町長が、新人の山下陽照(やました・ようしょう、60歳)元農業団体を破り3選を果たした。
市川氏は昭和10年9月24日生、浜頓別出身、北海道立自治講習所修了。同町総務課長、教育長、収入役を歴任。昭和44年から約11年間続いた社会党の坂下堯町政で組合の委員長を務めた。初戦(平成3年)の時は社会党、地区労などの革新陣営の推薦を受け、11年ぶりの町政奪還に成功。今回は、商工政治連盟、建設協会、漁協などの推薦を受けた。
当日有権者数 3,886人
当日投票者数 3,429人
投票率 88.24%
当選 市川 昇 2,186票
山下 陽照 1,188票
【過去の浜頓別町長選挙結果】
□平成7年9月5日告示
任期満了に伴う浜頓別町長選挙は平成9月5日告示され、現職の市川昇(60歳)町長以外に立候補の届け出がなく同氏の無投票再選が決まった。
□平成3年9月8日投票
任期満了に伴う浜頓別町長選挙は平成3年9月8日投票、即日開票され、新人の市川昇(55歳)同町前収入役が、現職の杉田孝(58歳)町長と、新人の山田香(62歳)同前町議会議長の両氏を破り初当選した。市川氏は杉田町政の収入役を務めていた。
当日有権者数 4,058人
当日投票者数 3,874人
投票率 95.47%
当選 市川 昇 1,420票
山田 香 1,341票
杉田 孝 1,078票
□昭和62年9月20日投票
現職石田孝町長病気辞任に伴う浜頓別町長選挙は昭和62年9月20日投票、即日開票され、新人の杉田孝(54歳)同町前収入役が、同じく新人の中村忠男(69歳)同元町議会議員を破り初当選した。
杉田氏は、大正8年5月29日、深川市出身、自治講習所卒。同町企画室長、財政課長、総務課長、国保病院事務長、収入役を歴任。
当日有権者数 4,246人
当日投票者数 3,989人
投票率 93.95%
当選 杉田 孝 1,992票
中村 忠男 1,945票
□昭和59年2月19日投票
任期満了に伴う浜頓別町長選挙は昭和59年2月19日投票、即日開票され、現職の石田孝町長が、新人の坂下周平(獣医)氏、同じく新人の中村忠男氏を破り再選を果たした。
石田氏は、大正7年10月15日、浜頓別町出身、旭川商業卒。昭和22年浜頓別村議、同町議長、消防団長、商工会長、全道商工連副会長を歴任。
坂下氏は、坂下堯氏の長男で昭和54年4月8日執行の道議会議員選挙(宗谷支庁)に出馬し落選している。
当日有権者数 4,254人
当日投票者数 4,009人
投票率 94.24%
当選 石田 孝 2,047票
坂下 周平 1,215票
中村 忠男 703票
□昭和55年3月2日投票
現職坂下堯町長辞職(参議院議員選挙地方区出馬)に伴う浜頓別町長選挙は昭和55年3月2日投票、即日開票され、新人の石田孝同町前議長が、新人の松本饒同町前助役を破り初当選した。
当日有権者数 4,387人
当日投票者数 4,196人
投票率 95.65%
当選 石田 孝 2,267票
松本 饒 1,859票
辞職した坂下堯(さかした・たかし)氏は、大正11年8月3日生、昭和18年旧東京高等獣医学校(現日大農獣医学部)卒、戦後満州から復員し農民連盟、29年社会党入党、30年道議(宗谷支庁・定数2人)連続3回当選、32年同町農協組合長、42年道議(宗谷支庁・定数1人削減)落選、44年3月浜頓別町長選挙告示2日前に立候補し大差で現職を破り連続4回当選、55年6月参議院議員選挙地方区に立候補し落選(社会党)、58年4月道議(社会党)に返り咲く(宗谷支庁・現職自民党の高橋正四郎元宗谷支庁長を破る)、59年現職道議で急逝。
坂下氏死去に伴う道議補欠選挙(59年10月7日執行)で、同氏妻啓子(社会党)氏が立候補し現在議長の湯佐利夫(自民党)元道水産部長に破れる。