地方選挙News
投票結果
帯広市
任期満了に伴う帯広市長選挙は平成14年4月14日投票、即日開票され、現職の砂川敏文(すながわ・としふみ、54歳=無所属、自民党推薦)市長が、新人の大塚徹(おおつか・とおる、50歳=無所属、連合帯広推薦)自民党代議元士秘書、畑中庸助(はたなか・ようすけ、50歳=共産党公認)共産党帯広市議団事務局長、石井啓裕(いしい・ひろやす、61歳=無所属)前帯広市議会議員、川原勲三(かわはら・くんそう、46歳=無所属)牧師の4人を破り再選を果たした。立候補者数5人は同市長選挙史上最多の記録。
政治倫理に問われ自民党離党に追い込まれた鈴木宗男衆議院議員の動向が注目されたが、地元選出の中川昭一衆議院議員の陣頭指揮には歯が立たなかった。
砂川氏は、昭和23年1月21日生、香川県大川郡志度町出身、帯広畜産大畜産学部草地学科卒。45年農林水産省農地局経済課入省、63年北海道開発局帯広開発建設部次長、平成6年同局会計課長、8年官房調整官、9年10月同退官、10年4月市長就任。
有権者数 134,806人
投票者数 79,996人
投票率 59.34%
無効票 802票
当選 砂川 敏文 41,210票
大塚 徹 24,416票
畑中 庸助 6,035票
石井 啓裕 5,941票
川原 勲三 1,591票
【帯広市長選挙経過】
□平成14年2月13日、連合北海道帯広地区連合会は帯広市内で臨時総会を開き平成14年4月7日告示される帯広市長選挙に出馬する大塚徹(おおつか・とおる、49歳)自民党元代議士秘書の推薦を決めた。
□平成14年2月6日、自民党道連選対委員会で平成14年4月7日告示される帯広市長選挙に出馬する現職の砂川敏文(すながわ・としふみ、53歳)市長の推薦を決めた。
□ 平成14年2月5日、川原勲三(46歳)牧師は平成14年4月7日告示される同市長選挙に出馬することを表明した。
川原氏は、広島県三原市本籍、日本バプテスト神学校卒。十勝平野キリスト教会牧師。
□平成14年2月1日、石井啓裕(61歳)帯広市議会議員は平成14年4月7日告示される同市長選挙に出馬することを表明した。
石井氏は、昭和15年11月29日生、帯広出身、中央大法学部卒。金融・不動産会者経営、61年市議補選で初当選、現在4期目、前市長の高橋氏とは盟友関係。
□平成14年1月29日、畑中庸助(50歳)共産党帯広市議団事務局長は平成14年4月7日告示される同市長選挙に出馬することを表明した。
畑中氏は、白糠町出身、北大中退。帯広市民生協管理部長、共産党帯広市議団事務局長、平成11年帯広市議選に出馬し落選している。
□平成13年12月30日、現職の砂川敏文(すながわ・としふみ、53歳)市長は中川昭一衆院議員や自民党道議など同席した記者会見場(帯広市内のホテル)で平成14年4月7日告示される同市長選挙に再選を目指して出馬することを表明した。
砂川氏は、昭和23年1月21日生、香川県さぬき市出身、帯広畜産大畜産学部卒。北海道開発局会計課長、官房調整官、平成10年4月市長就任。現在1期目。
□平成13年12月23日、大塚徹(おおつか・とおる、49歳)代議士秘書は帯広市内のホテルで記者会見し、正式に次期市長選挙に出馬する事を表明した。(経歴は下記)
□平成13年12月8日、中川昭一衆議院議員は帯広市内で行われた同氏の後援会パーティーで砂川敏文帯広市長の再選を支持することを明言した。前回と同様に中川代議士の全面バック態勢で選挙戦にはいる。
□平成13年12月、現職の砂川敏文(すながわ・としふみ、53歳)市長は、平成14年4月7日告示に同市長選挙に再選を目指して出馬する意向を固めた。
□平成13年11月22日、帯広市選挙管理委員会は次期市長選挙(任期満了は平成14年4月20日)の日程を平成14年4月7日告示、同14日投票と決めた。即日開票される。
□平成13年11月、大原洋一(おおはら・よういち、58歳)会社社長は次期市長選挙に出馬の意向を示した。(平成14年1月31日出馬断念)
大原氏は、札幌市出身、帯広三条高卒、帯広畜産大卒。同大学助手、助教授、平成3年3月同退職、同年エー・ジー・イー研究所設立(バイオコンサルタント会社)、「21世紀地域振興プロジェクト懇話会」呼びかけ人。父は故・大原久友氏で元帯広畜産大学長。
□平成13年10月21日、大塚徹(おおつか・とおる、49歳)代議士秘書は次期市長選挙に出馬の意向を固めた。
大塚氏は、帯広市出身、帯広三条高卒、中央大学法学部卒。卒業後、故・荒井将敬代議士秘書を経て、現在自民党江藤・亀井派の荒井広幸代議士政務担当秘書、東京在住。父は元帯広地区労初代議長。水野正光帯広市議会議員(保守党・5期)は知人、年内に帯広に戻り出馬の準備を本格化する。
□平成13年10月16日、帯広市議会決算審査特別委員会で国保会計決算認定に関する採決が行われ、帯広市政では2回目(1回目は昭和49年・吉村市政)の決算不認定が決まった。平成12年3月議会の予算削減に続き、全会一致の決算不認定となった砂川市政は「根回しやブレーン政治を排除するのは官僚手法そのもの」と言われ、砂川市長と議会との溝は当分埋まりそうもない。
【過去の帯広市長選挙結果】
□平成10年4月12日投票
保守奪還 砂川氏が当選を果たす
任期満了に伴う帯広市長選挙は平成10年4月12日投票、即日開票され、新人の砂川敏文(前開発局官房調整官・50歳)氏=自民推薦が、現職の高橋幹夫(たかはし・みきお、57歳)市長=民主、社会推薦と、新人の野坂勲(帯広民商事務局長・47歳)氏=共産推薦を破り初当選を果たした。
今回の市長選挙で、自民党は、党道連会長の中川昭一衆院議員を砂川氏の選対本部長に据え、保守奪還を目指したが、鈴木宗男北海道開発庁長官が公然と現職の高橋氏を支援。中川・鈴木両氏の代理戦争になった。
砂川氏は帯広畜産大学畜産学部卒、前職は開発局官房調整官。
当日有権者数 131,225人
当日投票者数 90,403人
投票率 68.89%
当選 砂川 敏文 無新 45,196票
高橋 幹夫 無前 39,318票
野坂 勲 無新 5,237票
□平成6年4月17日投票
任期満了に伴う帯広市長選挙は平成6年4月17日投票、即日開票の結果、現職の高橋幹夫市長(53歳)が、新人の古沢慎二氏(52歳)、同じく新人の跡辺裕行氏(28歳)を破り、再選を果たした。投票率は前回を下回り、同市長選では過去2番目の低さとなった。
高橋氏は、「市政の継続」を訴えながら連合帯広の推薦も受け組織票を固め、告示直前に同市助役への恐喝事件が発覚し批判を受けたが、逆に運動が引き締まった。
古沢氏は、中川昭一衆院議員の後援会幹事長を長く務め、中川昭一衆院議員、小野寺勇道議が支援し、中川後援会をバックに商工業、自営業者を中心に支持を広げたが、中川氏と鈴木宗男衆院議員の確執から、自民党内を一本化できず、事実上の分裂選挙で保守支持層が離反した。
当日有権者数 124,851人
当日投票者数 82,613人
投票率 66.17%
当選 高橋 幹夫 無前 43,607票
古澤 慎二 無新 32,996 票
跡辺 裕行 無新 5,536 票
□平成2年4月15日投票
任期満了に伴う帯広市長選挙は平成2年4月14日投票、即日開票の結果、新人の高橋幹夫氏(社会党推薦)が、現職の田本市長と、新人の加賀谷氏を破り、初当選した。
16年ぶりの革新市政となった今回の選挙戦は、革新票は3万5千票しかない中で高橋氏の得票は4万2千票。保守票(鈴木派の票)が大量に高橋氏に回った、とされる。
高橋氏は、昭和16年1月14日生、帯広市出身、早稲田大学文学部卒。同市職労委員長、生活環境部次長、昭和61年4月同市長選に出馬し落選、幕別自動車学校常務取締役。
当日有権者数 118,654人
当日投票者数 80,721人
投票率 68.03%
当選 高橋 幹夫 無新 41,750票
田本 憲吾 無前 35,392 票
加賀谷敏男 無新 3,018 票
□昭和61年4月13日投票
任期満了に伴う帯広市長選挙は昭和61年4月13日投票、即日開票の結果、現職の田本市長が、新人の高橋氏、加瀬谷氏、藤本氏を破り、4選を果たした。
当日有権者数 112,164人
当日投票者数 91,313人
投票率 81.41%
当選 田本 憲吾 無前 48,744 票
高橋 幹夫 無新 38,488票
加賀谷敏男 共新 2,933 票
藤本 國夫 無新 766 票
□昭和57年4月18日投票
任期満了に伴う帯広市長選挙は昭和57年4月18日投票、即日開票の結果、現職の田本市長が、新人の山本氏、同じく新人の丸山氏を破り、3選を果たした。
当日有権者数 105,102人
当日投票者数 81,792人
投票率 77.81%
当選 田本 憲吾 無前 48,759
山本 忠次 無新 27,831票
丸山 敬三 無新 4,751 票
□昭和53年4月16日投票
任期満了に伴う帯広市長選挙は昭和53年4月16日投票、即日開票の結果、現職の田本市長が、新人の近藤氏を破り、再選を果たした。
当日有権者数 97,911人
当日投票者数 81,522人
投票率 83.26%
当選 田本 憲吾 無前 49,844票
近藤 守治 無新 31,370 票
□ 昭和49年4月21日投票
自民推薦田本氏当選し吉村革新市政崩壊
現職の吉村博革新市長突然辞任に伴う帯広市長選挙は昭和49年4月21日投票、即日開票の結果、新人の田本憲吾氏(自民党)が、新人の熊谷克治前道議会議員(吉村市長後継者)、同じく新人の湊氏を破り初当選。約20年ぶりの保守奪還となった。
田本氏は、昭和4年6月8日生、帯広市出身、日大理工学部卒。田本食堂代表取締役。
敗れた熊谷氏は、昭和4年6月1日生、帯広市出身、帯広畜専修。帯広柏小・明星小各教諭、北教組帯広支部委員長、帯広地区労議長、46年道議初当選(社会党)、49年の同市長選挙落選後50年道議に返り咲く。
当日有権者数 91,425人
当日投票者数 76,792人
投票率 83.99%
当選 田本 憲吾 無新 35,975 票
熊谷 克治 無新 35,775 票
湊 昇 共新 4,777 票
※ 辞職した吉村氏は、明治44年4月1日生、池田町出身、帯広中、昭和7年国民高等学校(茨城県)、家業の木材会社専務、22年社会党入党、市公安委員、消防団副団長、30年3月帯広市長選落選、同6月現職の佐藤亀太郎市長(3期)病死、同8月再出馬で市長当選(44歳・左派社会党)。
市長は吉村博(社会党)、国会議員は中川一郎(自民党)とお互いの選挙を支援し“ねじれの構図”で“危険な関係”の政治バランスをとって5選を果たすが、49年2月市議会で47年度決算を不認定(市政初)され、幾度の不祥事(物品購入の不正事件)などで助役・総務部長が相次いで辞職、吉村市政が持たなくなり、49年3月3日本人不在で辞任(5期・18年)した。吉村氏は本道革新首長の草分けでリーダー的存在、全国革新市長会副会長、本道革新市長会長を務めた。
富良野市
任期満了に伴う富良野市長選挙は平成14年4月14日投票、即日開票され、現職の高田忠尚氏(たかだ・ただなお、58歳)市長が、新人の千葉勲(ちば・いさお、56歳)前同市議会副議長を破り3選を果たした。
千葉氏は、地域高規格道路建設の白紙撤回を強調したが、現職の高田氏は農業、観光振興には同道路の建設が必要と訴え票の流出をくい止めた。
高田氏は、昭和18年8月15日生、富良野市出身、38年道上川支庁農業学園修了。38年農業従事、46年北海道青年会館理事、52年富良野農業協同組合理事、平成2年同第1理事、6年5月市長就任。
有権者数 20,150人
投票者数 16,190人
投票率 80.35%
無効票 162票
当選 高田 忠尚 8,714票
千葉 勲 7,307票
【富良野市長選挙経過】
□平成14年1月29日、連合富良野・民主党ふらのに出馬を要請されていた千葉勲(56歳)同市議会副議長が、平成14年4月7日告示の同市長選挙に出馬する意向で、議員辞職願を同議長に提出、受理された。
千葉氏は、昭和20年7月20日、富良野市出身、旭川工業高卒。富良野市議会議員(6期)、同副議長、市消費者協会長。
□平成14年1月23日、富良野市選挙管理委員会は次期市長選挙(任期満了は平成14年5月14日)の日程を平成14年4月7日告示、同14日投票と決めた。即日開票される。同時に現職市議の死亡に伴う同市議補選も行われる。
□平成13年12月14日、現職の高田忠尚氏(たかだ・ただなお、58歳)市長は定例市議会で次期市長選挙(任期満了は平成14年5月14日)に3選を目指して出馬することを表明した。
高田氏は、昭和18年8月15日生、富良野市出身、道上川支庁農業学園修了。富良野農業協同組合第1理事。平成6年5月市長就任。現在2期目。
【平成10年の富良野市長選挙結果】
□平成10年4月19日投票
任期満了に伴う富良野市長選挙は平成10年4月19日投票、即日開票され、現職の高田忠尚氏(たかだ・ただなお、54歳)が、新人の宮田均(44歳)を破り再選を果たした。
高田氏は、昭和18年8月15日生、富良野市出身、道上川支庁農業学園修了。富良野農業組合理事。平成6年5月市長就任。連合富良野が対立候補擁立を断念、過去最低の投票率66.13%となった。
当日有権者数 20,148人
当日投票者数 13,323人
投票率 66.13%
当選 高田 忠尚 無現 9,421票
宮田 均 無新 3,036票
【平成10年市長選挙後の動き】
富良野市 高田市長入院
□平成11年3月14日、高田忠尚(55歳)市長は急性心筋梗塞で旭川市内の病院に入院。同市長の職務代理者は助役の能登芳昭氏。
【過去の富良野市長選挙結果】
□平成6年4月24日投票
現職の滝口革新市長破れる
任期満了に伴う富良野市長選挙は平成6年4月24日投票、即日開票され、新人の高田氏(50歳)が、現職の滝口市長(75歳)を破り初当選した。現職に対する高齢、多選批判が大きかった。
当日有権者数 19,965人
当日投票者数 17,622人
投票率 88.26%
当選 高田 忠尚 無新 10,194票
滝口 国一郎 無前 7,256票
□平成2年4月22日告示
任期満了に伴う富良野市長選挙は平成2年4月22日告示され、現職の滝口市長以外に立候補の届け出がなく、同氏の4選が決まった。
滝口氏は、大正7年富良野市出身、水上農業学校卒。富良野町産業課長、富良野市経済部長、同教育長を歴任し、昭和53年5月市長選に出馬し市を二分する激戦の末初陣を飾った。
□昭和61年4月20日告示
任期満了に伴う富良野市長選挙は昭和61年4月20日告示され、現職の滝口市長以外に立候補の届け出がなく、同氏の3選が決まった。
□昭和57年4月25日投票
任期満了に伴う富良野市長選挙は昭和57年4月25日投票、即日開票され、現職の滝口市長が、新人の小田島氏を破り、再選を果たした。
当日有権者数 19,704人
当日投票者数 16,042人
投票率 81.41%
当選 滝口国一郎 無前 10,430票
小田島力雄 無新 5,391票
□昭和53年4月23日投票
革新市政、滝口市長誕生
任期満了に伴う富良野市長選挙は昭和53年4月23日投票、即日開票され、新人の滝口国一郎同市前教育長が、同じく新人の佐藤康夫同市前建設部長を破り、初当選した。
当日有権者数 19,677人
当日投票者数 18,297人
投票率 92.99%
当選 滝口国一郎 無新 9,464票
佐藤 康夫 無新 8,767票
□昭和49年4月21日投票
任期満了に伴う富良野市長選挙は昭和49年4月21日投票、即日開票され、現職の高松氏が、新人の吉田氏、同じく新人の須賀氏を破り、8選を果たした。
高松氏は、大正15年から昭和15年教員、その後富良野役場入り、戦後22年同助役、30年現職の古東久平町長を破り町長に、41年市制施行で市長に。
当日有権者数 19,140人
当日投票者数 17,772人
投票率 92.85%
当選 高松 竹次 無前 8,354票
吉田 勝男 無新 8,304票
須賀 賢 無新 1,017票