地方選挙News
選挙結果
恵山町
現職の山田忠昭町長辞任に伴う恵山町長選挙は平成14年6月2日投票、即日開票され、新人の工藤篤(くどう・あつし、52歳)同町前教育委員会生涯学習課参事が、224票差で前町長の山田忠昭(やまだ・ただあき、63歳)氏を破り初当選を果たした。
一騎打ちとなった同選挙は、「病院を守りたい一心で、同病院の赤字を個人的に立て替えた」と訴えた山田氏が出直し選挙で敗退した。恵山町立国保病院会計の不明朗な入金問題の真相は解明されていないと有権者が判断したことになる。
また、“山田氏を巡る疑惑徹底糾明”を訴えた工藤氏は、平成7年の同町長選挙に山田氏に敗れた現職の湊貞治(3期)町長のおいで、平成7年の町を二分した激戦の後遺症と見られ、町民には遺恨選挙と受け止められた。しかし工藤氏の若い後援会組織が中心に支援の輪を広げ「透明な行政に全力を尽くす」と工藤氏の積極的な訴えが支持された。
工藤氏は、函館北高卒。恵山高事務長、同町教育委員会生涯学習課参事。平成7年の同町長選挙に山田氏に敗れた現職の湊貞治(3期)町長の甥。
有権者数 3,973人
投票者数 3,472人
投票率 87.39%
無効票 32票
当選 工藤 篤 1,831票
山田 忠昭 1,607票
【平成14年の恵山町長選挙後の経過】
□平成14年6月4日、初当選した工藤篤氏が恵山町役場に初登庁し工藤町政がスタートした。また、山田前町長を支えてきた福沢忠秋助役と山崎孝蔵収入役は、新町長に辞職願を提出し受理され同日付で辞職した。
福沢助役は、恵山町立国保病院会計の不明朗な入金問題で平成12年秋コンサルタント会社(札幌市手稲区)を訪ね、同社社長に口裏合わせを依頼していた疑いがあった。
□平成14年6月2日、読売新聞北海道支社は函館市内の販売店に、恵山町長選挙の結果を伝える号外(A3判)を山田氏当選と誤ってファクスした。ファクスを受けた販売店は約80部をコピーし翌日の午前0時から1時に一般家庭に約30部を配ったが、住民からの連絡を受け約20部を回収し、工藤氏当選の正しい号外とお詫びの文書を添え配り直した。
【平成14年の恵山町長選挙経過】
□平成14年4月30日、工藤篤(52歳)同町教育委員会生涯学習課参事は同日付けで辞職し、不明朗な入金問題を解明し混乱した町政を収捨するために5月28日告示の同町長選挙に出馬する事を表明した。
工藤氏は、函館北高卒。恵山高事務長、同町教育委員会生涯学習課参事。平成7年の同町長選挙に山田氏に敗れた現職の湊貞治(3期)町長の甥。
□平成14年4月30日、恵山町選挙管理委員会は現職町長辞職に伴う町長選挙の日程を平成14年5月28日告示、6月2日投票と決めた。即日開票される。
□平成14年4月25日、同日付けで退職する山田忠昭町長は町長室で記者会見し、私腹を肥やしたわけではなく病院を存続させるために仕方がなかったと説明。同氏辞職に伴う長選挙に「みそぎを受ける出直し選挙」と述べ、再び出馬する意向を表明した。
□平成14年4月25日、恵山町議会(定数16人)は臨時議会を開き、同町立国保病院をめぐる不明朗入金問題で、疑惑解明の百条委員会設置の採決(議長を除き15人)が行われ7対8で否決された。また、山田忠昭町長から提出されていた辞職願いは8対7で同意された。
□平成14年4月25日、山田忠昭町長の資産報告書に親族の建設会社会長から借りた4,500万円の記載がなかった事が明らかになった。記載漏れの罰則規定はない。
□平成14年4月24日、恵山町立国保病院は現医院長「委託医師」を5月1日から正式に町職員として採用することを渡島保健所に伝えた。同病院は平成11年に東京の医療コンサルタント会社と「委託医師」契約をしていた。医療法では町職員以外の病院管理者を禁じている、また、労働者派遣事業法では業として医師を派遣することも禁じている。
□平成14年4月22日、現職の山田忠昭(63歳)町長は不明朗な入金問題で政治的、道義的責任を取り山内健治同町議会議長に辞職願いを提出した。その後の記者会見で「次期町長選挙を町民に説明する機会とし、町民の信を問いたい」と出直し出馬への意向を明らかにした。
同町議会が辞職に同意した場合、議長が5日以内に同町選挙管理委員会に通知、同選管は50日以内に町長選挙を告示する。しかし、疑惑追及の調査特別委員会(百条委員会)設置を一部町議が求めている。
□平成14年4月19日、現職の山田忠昭町長は不明朗な入金問題で函館市内のホテルで記者会見し、平成9年度恵山町病院会計の赤字9,000万円の内5,500万円を自ら補てんしたことを認めた。山田町長の説明によると、親族の建設会社(函館市)会長から4,500万円を借り、残り1,000万円は自分で用立てて同建設会社にコンサルタント会社名義で同病院会計に振り込みを依頼した。
法的な問題で、同席した松村弘康(札幌市)弁護士は、債務立て替えは公職選挙法の寄付行為には当たらない事、コンサルタント会社名で振り込んだのは無断ではないので私文書偽造にもならないとの見解を示した。
□平成14年4月10日、恵山町立国保病院会計に不明朗な入金問題が発覚。
山田町長は、同病院は札幌の病院経営コンサルタント会社と経営改善委託契約を結んだが、9年度末に9,000万円の赤字が出て、同社と同町が赤字負担割合を協議。同社が5,500万円、同町が3,500万円を負担することで合意し、10年7月23日に赤字分の5,500万円を同会社名義で同病院会計に振り込ませたと説明。しかし今回、同社と同町が交わした債権債務関係がないとする「合意書」が存在し、同社は4,500万円を振り込んだことを否定した。山田忠昭町長は誰が病院会計に5,500万円を振り込んだのか確認すると述べた。
□平成14年3月、恵山町議会(定数16人)は臨時議会を開き、同町立国保病院の移転新築に伴う土地購入をめぐる問題で、百条委員会設置採決が行われ7対8で否決された。
□10年7月23日、恵山町立国保病院赤字分の5,500万円を札幌の病院経営コンサルタント会社同社に負担させたと町議会で報告、同病院会計の決算は認定された。
□8年12月、恵山町立国保病院は札幌の病院経営コンサルタント会社と経営改善委託契約を結ぶ。
【平成11年の恵山町長選挙結果】
任期満了に伴う恵山町長選挙は平成11年4月20日告示され、現職の山田忠昭(やまだ・ただあき・60歳)町長以外に立候補の届け出がなく同氏の無投票再選が決まった。
山田氏は、昭和14年1月2日生、恵山町出身、函館東高卒。同町立国保病院事務長、水産課長、収入役、教育長を歴任。平成7年町長就任。
【平成11年の恵山町長選挙経過】
□平成10年12月15日、現職の山田忠昭(59歳)町長は、同町定例町議会で「引き続き町政を担当して、懸案事項の解決に努力したい」と述べ、同町長選挙に再出馬することを表明した。
【過去の恵山町長選挙結果】
□平成7年4月23日投票
任期満了に伴う恵山町長選挙は4月23日投票即日開票され、町政刷新を揚げた新人の山田忠昭(56歳)同町元教育長が、現職の湊貞治(68歳・3期)町長を破り初当選した。
今回の選挙は、漁協と町議をほぼ二分する激戦で、町民も両候補に分かれ397票差が今後の町政に大きく影響する可能性がある。
敗れた湊氏は、大正15年9月8日生、恵山町出身、高小卒。同町(尻岸内町)病院事務長、収入役を歴任。昭和58年4月、野呂桂司町長任期半ばで急逝し同町長選に出馬、当選。
当日有権者数 4,328人
投票者数 3,898人
投票率 90.06%
当選 山田 忠昭 2,133票
湊 貞治 1,736票
□平成3年4月21日告示
任期満了に伴う恵山(昭和60年4月尻岸内町から恵山町に改称)町長選挙は平成3年4月21日告示され、現職の湊貞治町長以外に立候補の届出が無く、同氏の無投票再選が決まった。
□昭和58年4月24日投票
現職の野呂桂司町長死去に伴う尻岸内町長選挙は昭和58年4月24日投票され、新人の湊貞治同町前収入役が、同じく新人の山崎勇次郎氏、斉藤賢三氏を破り初当選を果たした。
有権者数 4,761人
投票者数 4,442人
投票率 93.30%
当選 湊 貞治 2,622票
山崎勇次郎 943票
斉藤 賢三 849票
虻田町
現職長崎町長無投票で再選
任期満了に伴う虻田町長選挙は平成14年5月21日告示され、現職の長崎良夫(ながさき・よしお、72歳)町長以外に立候補の届出が無く、同氏の無投票再選が決まった。
長崎氏は、昭和4年10月15日生、虻田町出身、旧制伊達中学校卒。昭和23年同町役場入り、水道課長、総務課長、同部長、53年助役(4期16年)を歴任。平成10年5月町長就任。
【虻田町長選挙経過】
□平成14年3月7日、虻田町選挙管理委員会は次期町長選挙(任期満了は平成14年6月16日)の日程を平成14年5月21日告示、同26日投票と決めた。即日開票される
□平成14年1月15日、現職の長崎良夫(ながさき・よしお、72歳)町長は臨時町議会で次期町長選挙(任期満了は平成14年6月16日)に再選を目指して出馬する意向を表明した。
長崎氏は、昭和4年10月15日生、虻田町出身、旧制伊達中学校卒。昭和23年同町役場入り、水道課長、総務課長、同部長、53年助役(4期16年)を歴任。平成10年5月町長就任。
□平成12年3月31日、23年ぶりに有珠山が大噴火。虻田町、伊達市、壮瞥町の住民1万6000人が避難した。
【過去の虻田町長選挙結果】
□平成10年5月24日投票
任期満了に伴う虻田町長選挙は平成10年5月24日投票、即日開票され、新人の長崎良夫(ながさき・よしお、68歳)前助役氏が、現職の岡村正吉(75歳)町長を破り初当選を果たした。道内大物首長の長期政権批判が票差にでた。
長崎氏は、昭和4年、虻田町出身、旧制伊達中卒。昭和21年同町役場、総務課長、同部長、53年助役(4期16年)を歴任。
敗れた岡村氏は、大正11年8月13日生、虻田町出身、東大法学部卒。道入庁、水産部、道民課長(広報課長)、38年教育庁次長、同教育長(道議会で3回解任決議案を突きつけられる、47年1月辞任、衆院選出馬表明(本道4区)したが断念、HTBユニオン副社長、昭和49年町長選に出馬、現職の横山勉氏を少差で破り初当選を飾った。2回目以降は無投票(5回)で6期24年町長を務めた。
当日有権者数 8,176人
当日投票者数 7,052人
投票率 86.25%
当選 長崎 良夫 無新 4,200票
岡村 正吉 無現 2,770票
□平成6年5月29日告示
任期満了に伴う虻田町長選挙は告示され、現職の岡村正吉町長以外に立候補の届出がなく同氏の無投票6選が決まった。
□平成2年5月27日告示
任期満了に伴う虻田町長選挙は告示され、現職の岡村正吉町長以外に立候補の届出がなく同氏の無投票5選が決まった。
□昭和61年5月20日告示
任期満了に伴う虻田町長選挙は告示され、現職の岡村正吉町長以外に立候補の届出がなく同氏の無投票4選が決まった。
□昭和57年5月30日告示
任期満了に伴う虻田町長選挙は告示され、現職の岡村正吉町長以外に立候補の届出がなく同氏の無投票3選が決まった。
□昭和49年5月
新人の岡村正吉氏が町長選に出馬、現職の横山勉氏に200票の少差で破り初当選を飾った
□昭和48年4月22日投票
住民投票前の出直し町長選挙は現職の横山勉町長(自民党道連推薦)が、新人の泊谷裕夫元社会党代議士(社会党道本部国民運動局長・虻田町出身)を破り雪辱を果たした。
横山氏は、昭和33年虻田町長就任、37年落選(洞爺湖汚染防止下水道終末処理問題)、41年再選を果たす。
《虻田町リコール選挙経過》
45年4月北電が伊達火力発電所建設を発表、47年7月30日虻田町議会が北電伊達火力発電所建設に伴う協定を強行採決、47年10月25日横山勉町長解職リコール(北電伊達火力問題)運動始まる、48年1月22日リコール請求成立、48年3月18日同町選挙管理委員会はリコール請求に伴う住民投票を4月15日と決める、48年3月19日横山勉町長辞意を表明、48年3月22日臨時町議会で退職同意(4月15日告示、同22日投票と決まる)。
有権者数 9,100人
投票率 84.80%
当選 横山 勉 4,289票
泊谷 裕夫 2,962票