平成18年 北海道首長選挙 市長選挙編(任期満了=8市・新市誕生=3市)
◎任期満了・8市
○旭川市長選挙(11月16日任期満了)
○帯広市長選挙(4月9日告示、16日投票)
○岩見沢市長選挙(10月19日任期満了)
○網走市長選挙(11月30日任期満了)
○留萌市長選挙(3月9日任期満了)
○根室市長選挙(9月29日任期満了)
○深川市長選挙(10月14日任期満了)
○富良野市長選挙(5月14日任期満了)
◎合併による選挙・3市(別編)
・任期満了
○旭川市長選挙(11月16日任期満了)
【現職の菅原功一氏の経歴】
菅原功一は、昭和19年6月24日生、旭川出身、道立旭川商業高校卒。旭川市議・2期、自民党道連青年部幹事長、同部長,同青年局長、党本部青年局全国中央常任委員、元道議会議員佐藤幹夫秘書、元衆議院議員佐々木秀世秘書、62年4月道議初当選、党道議会議員会政策審議副会長、平成3年4月道議2期。6年11月旭川市長就任。現在3期目。
【旭川市長選挙の経過】
□平成17年10月6日、旭川市長選挙に出馬の意向を明らかにしている東国幹(37歳)元同会議員は、道路交通法違反(酒気帯び運転)の容疑で摘発されたことを明らかにした。また、市長選候補者としては適格者ではないと述べた。
調べによると、10月5日午後7時頃、旭川市内の飲食店でビール3杯と酎ハイ3杯を飲み、午後9時頃タクシーで帰宅(旭川市春光)。その後、午後11時30頃、知人に会いに車を運転。6日午前0時15分頃、当麻町で酒を飲み乗用車を運転した疑い。
東氏は、昭和43年2月17日生、風連町出身、東海大卒。自民党支部委員、佐藤静雄衆議院議員秘書、旭川市議会議員、平成11年藤井猛元道議会議長の後継者として道議初当選。
1期途中で道議を辞職し旭川市長選挙(平成14年)に出馬。事実上の現職菅原市長との一騎打ちの戦いで敗れる(227票差)。
□平成17年7月8日、「旭川市長のリコールを成功させる会=中嶋晃之会長」の署名活動が始まった。昨年に続き2回目。
【現職の菅原功一旭川市長が旭川地検に告発、受理までの経過】
□平成17年2月22日、旭川市議会は地方自治法違反(偽証、証言拒否)の疑いで、現職の菅原功一旭川市長を旭川地検に告発し、受理された。
□平成16年12月1日、旭川市議会は菅原市長、小池前総務部長を刑事告発することを賛成多数で可決された。
□平成16年11月17日、100条委員会は証人喚問で、菅原功一市長が正当な理由がなく証言を拒否及び虚偽の陳述をしたものとして刑事告発を決定。
□平成16年11月17日、100条委員会は証人喚問で、小池語朗氏が虚偽の陳述をしたものとして刑事告発を決定。
□平成16年9月14日、100条委員会は証人喚問で、杉浦みち代氏が虚偽の陳述をしたものとして刑事告発を決定。
□平成16年9月10日、100条委員会は証人喚問で、杉浦剛太朗氏が正当な理由がないのに証人出頭、記録提出を拒否、告発を決定。
□平成16年6月8日・9日、旭川市議会百条調査特別委員会は現職市長の菅原功一氏に初めての証人喚問を実施。菅原市長は全面的に疑惑を否定し、2日間(7時間10分)にわたった尋問が終了した。疑惑の核心部分では「記憶がない」と繰り返し、野党は再喚問を要求する構えだ。
□平成16年2月20日、旭川市議会百条委員会が派遣調査の報告書を公表。福岡県のバイオ業者・木佐木収氏の証言(福岡県筑後市に派遣)で疑惑が明らかになった。
□平成15年7月2日、旭川市庁舎の部局移転で学校法人所有のサンライズビル借り上げ計画で疑惑が浮上。旭川市始まって以来の百条委員会が、旭川市議会の全会一致で設置された。
菅原市長の後援者・杉浦剛太郎学校法人経営者が所有するサンライズビルを、市が庁舎として移転しようとしたが、ビルは校舎で目的外使用にあたり白紙撤回した。この件で菅原市長が杉浦剛太郎氏に便宜を図った疑いが浮上。また、口利き疑惑(高齢者優良賃貸住宅建設)や、沖縄旅行の癒着疑惑も出てきた。
□平成15年4月3日、旭川市庁舎移転問題(サンライズビル問題)発覚。道の学事課長から旭川市役所に、同市が借り上げるサンライズビルは学校法人の所有で賃貸は出来ないとの指導があった。同月26日と27日に農政部と総務部市史編集課が引っ越しする予定だった。
□平成14年12月11日、旭川市始まって以来の市長に対する辞職勧告決議案が賛成20人、反対19年で裁決された。辞職勧告は法的拘束力がない。
□平成14年11月15日、旭川市長選挙に絡み、藤井英規(58歳)旭川市水道事業管理者が逮捕された。その後、中村忠雄助役も逮捕(12月6日)された。2人の特別職は公職選挙法違反(公務員の地位利用、事前運動)で略式起訴された。また、同市役所幹部の小池語朗総務部長、重野健一商工観光部長、遠田隆宏都市建設部長、兼松輝義消防本部消防部長、板東光則企画財政部長の5人も同違反で書類送検(起訴猶予)された。同市幹部職員(課長職以上)50人以上が事情聴取される異常事態での菅原旭川市政3選の船出。
【平成14年11月10日旭川市長選挙結果】
227票差の大接戦で現職の菅原市長3選果たす
任期満了に伴う旭川市長選挙は平成14年11月10日投票、即日開票され、現職の菅原功一(すがわら・こういち、58歳)市長が、新人の東国幹(あづま・くによし、34歳)前自民党道議会議員、田辺八郎(たなべ・はちろう、59歳)前共産党旭川市議会議員、鶴飼重男(つるがい・しげお、54歳)マンション経営を破り3選を果たした。選挙は事実上、現職菅原氏、新人東氏との一騎打ちの戦いで、票差は227票だった。
菅原氏は、昭和19年6月24日生、旭川出身、旭川商業高校卒。代議士秘書、同市議会議員、道議会議員を2期務めた。平成6年11月市長就任。
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有権者数 293,581人
投票者数 138,779人
投票率 47.27%
有効投票 137,331票
無効投票 1,444 票
持ち帰り 4票
当選 菅原 功一 60,771票
東 国幹 60,544票
田辺 八郎 14,235票
鶴飼 重男 1,781票
【旭川市長選挙後の経過】
□平成14年11月15日、同市長選挙に絡み、藤井英規(58歳)旭川市水道事業管理者が公職選挙法違反(公務員の地位利用、事前運動)の疑いで逮捕された。
【旭川市長選挙経過】
□平成14年10月16日、鶴飼重男(54歳・アパート経営)氏は平成14年11月3日告示される同市長選挙に出馬すること表明した。同氏は平成10年の同市長選挙に立候補、落選している。
鶴飼氏は、岩手二戸高等技術専門学校修了。本籍岩手県種市町、モデル、大工。現在マンション経営。
□平成14年10月16日、旭川市職員労働組合(片桐敏雅執行委員長・約1、700人)は平成14年11月3日告示の旭川市長選挙は自主投票とすることを決めた。
□平成14年10月15日、自民党北海道青年局(佐々木通彦局長)は旭川市役所で記者会見し、平成14年11月3日告示の旭川市長選挙で、新人の東国幹自民党前道議会議員を支援することを表明した。
□平成14年10月11日、田辺八郎(59歳)前同市議会議員は旭川市内のホテルで記者会見し、平成14年11月3日告示される同市長選挙に出馬すること表明した。明るい旭川市政をつくる各界連絡会(共産党系市民団体)が、同氏を擁立する方針を固めていた。
田辺氏は、昭和18年4月14日生、旭川出身、道学芸大旭川分校卒。共産党役員、旭川民主商工会事務局長、昭和54年同市議(共産党・4期16年)、平成11年同落選、現在共産党旭川地区委員会副委員長。
□平成14年10月11日、自民党員有志の会(中島芳雄代表世話人・旭川支部顧問)は平成14年11月3日告示の旭川市長選挙で、現職の菅原功一市長を支持することを表明。有志の会は同支部役員や市議など30人あまりが参加、金田英行衆院議員も顧問に就任。
□平成14年10月9日、自民党旭川支部(今津寛支部長)は役員会を開き、平成14年11月3日告示の旭川市長選挙は自主投票とすることを決めた。同党は現職の菅原功一市長と、新人の東国幹自民党前道議会議員の双方から推薦要請を受けていたが、党が二分しかねないと判断、同市長選挙では両氏とも推薦しないことで決着。
□平成14年9月6日、現職の菅原功一(すがわら・こういち、58歳)市長は北海ホテル(旭川市内)で記者会見し、平成14年11月3日告示される同市長選挙に3選出馬することを表明した。
菅原氏は、昭和19年6月24日生、旭川出身、旭川商業高校卒。代議士秘書、同市議会議員、道議会議員を2期務めた。平成6年11月市長就任。現在2期目
□平成14年9月5日、東国幹(あずま・くによし、34歳)自民党道議会議員(旭川市選出・1期目)は旭川市内で会見し、平成14年11月3日告示される同市長選挙に無所属で出馬することを正式に表明した。
会見で、菅原市長の資金管理団体の問題(富樫多喜男後援会事務所長が政治資金規制法違反で逮捕)は解決したわけではないと批判した。
東氏は同市長選出馬に伴い平成14年9月18日(定例道議会初日)道議を辞職する。
□平成14年8月10日、東国幹(あずま・くによし、34歳)自民党道議会議員(旭川市選出・1期目)が出馬の要請を受けているのが明らかになった。同氏は後援会の了承を得た上で出馬表明をする。
東氏は、昭和43年2月17日生、風連町出身、東海大卒。自民党支部委員、佐藤静雄衆議院議員秘書、旭川市議会議員、平成11年藤井猛元道議会議長の後継者として道議初当選。
□平成14年8月1日、自民党の山崎拓幹事長、北村直人道連会長、神戸典臣道連幹事長は、現職の金田英行、元議員の今津寛両氏と確認書を交わした。金田英行氏を比例北海道ブロック1位、今津寛氏を新6区の候補とすることで決着。
□平成14年7月30日、旭川市選挙管理委員会は次期市長選挙(任期満了は平成14年11月16日)の日程を平成14年11月3日告示、同10日投票と決めた。即日開票される。
【過去の旭川市長選挙結果】
□平成10年11月8日投票
任期満了に伴う旭川市長選挙は、平成10年11月8日投票、即日開票され、現職の菅原功一(すがわら・こういち、54歳)市長が、新人の浅岡好比古(64歳・市民団体役員)氏、同じく新人の鶴飼重男(50歳・アパート経営)氏を破り、再選を果たした。
菅原氏は、昭和19年6月24日生、旭川出身、旭川商業高校卒。同市議会議員、道議会議員を2期務めた。平成6年11月市長就任。
当日有権者数 290,112人
当日投票者数 119,555人
投票率 41.21%
当選 菅原 功一 無現 93,254票(自民、民主、公明推薦)
浅岡好比古 無新 21,620票(共産推薦)
鶴飼 重男 無新 3,357票
□平成6年11月6日投票
任期満了(現職の板東徹市長勇退・4期)に伴う旭川市長選挙は平成6年l1月6日投票、即日開票の結果、新人の菅原功一氏(前自民党道議・50歳)が、同じく新人の波岸裕光氏(前同市助役・58歳)、高原一記氏(前社会党市議・52歳)、遠藤英徳氏(共産党道委員・42歳)に大差をつけて初当選を果たした。
35年ぶりの激戦となった同市長選挙は、他候補に先んじて菅原氏が道議を辞職、自民党も離党し9月上旬に出馬表明。無党派層を取り込み、革新陣営の一部も食い込む手堅い選挙戦で票をまとめ、終始有利に進めた。
当日有権者数 277,652人
当日投票者数 169,739人
投票率 61.13%
当選 菅原 功一 無新 70,129 票
波岸 裕光 無新 48,742 票
高原 一記 無新 42,807 票
遠藤 英徳 共新 7,124 票
□平成2年10月28日投票
任期満了に伴う旭川市長選挙は平成2年l0月28日投票、即日開票の結果、現職の坂東市長が、新人の木内和博氏、同じく新人の宮越弘一氏を破り4選を果たした。
旭川経済人会議が全国初の公募候補として擁立を決めた候補が告示2週間前に病気出馬断念となり急遽木内和博を擁立した。
坂東氏は、大正14年旭川市出身、東京獣医畜産専門卒。特老敬生園長、同市議会議員を務め、昭和53年11月市長選に出馬し現職の松本勇氏(革新系)を破り初当選。五十嵐広三氏(元建設大臣)、松本氏と続いた革新市政から保守市政を奪還した。
当日有権者数 266,266人
当日投票者数 188,231人
投票率 70.69%
当選 板東 徹 無前 98,246 票
木内 和博 無新 81,525 票
宮越 弘一 無新 7,947 票
□昭和61年11月9日投票
任期満了に伴う旭川市長選挙は昭和61年l1月9日投票、即日開票の結果、現職の坂東市長が、新人の佐々木氏、同じく新人の内沢氏を破り3選を果たした。
当日有権者数 256,618人
当日投票者数 185,259人
投票率 72.19%
当選 板東 徹 無前 110,032票
佐々木秀典 無新 66,412 票
内沢 千恵 無新 8,308 票
□昭和57年11月7日投票
任期満了に伴う旭川市長選挙は昭和57年l1月7日投票、即日開票の結果、現職の坂東市長が、新人の山崎氏を破り再選を果たした。
当日有権者数 244,145人
当日投票者数 201,275人
投票率 82.43%
当選 板東 徹 無前 122,404 票
山崎 正英 無新 78,382 票
□昭和53年11月5日投票
任期満了に伴う旭川市長選挙は昭和53年l1月5日投票、即日開票の結果、新人の坂東氏が、現職の松本市長を破り初当選。五十嵐広三氏(元建設大臣)、松本氏と続いた革新市政から保守市政を奪還した。
五十嵐広三前市長の後継者が落選したことは、翌年54年4月の知事選(五十嵐氏再度立候補したが落選)に大きく影響した。
当日有権者数 228,205人
当日投票者数 182,544人
投票率 79.99%
当選 板東 徹 無新 93,259 票
松本 勇 無前 88,856 票
□昭和49年11月17日投票
現職の五十嵐広三市長(50年4月の知事選に出馬・落選)辞職に伴う旭川市長選挙は昭和49年l1月17日投票、即日開票の結果、新人の松本前助役が、同じく新人の佐藤氏を破り、初当選した。
当日有権者数 207,659人
当日投票者数 168,146人
投票率 80.97%
当選 松本 勇 無新 84,167 票
佐藤 幹夫 無新 83,516 票
□昭和46年4月25日投票
任期満了に伴う旭川市長選挙は昭和46年4月25日投票、即日開票され、社会党現職の五十嵐広三市長が、自民党推薦新人の森山元一整形外科院長を破り、3選を果たした。
敗れた本山氏はその後、雑誌社(月刊「北海道経済」)の取締役会長を務(平成14年現在)めている。
当選 五十嵐広三 社前 89,831 票
森山 元一 無新 76,343 票
□昭和42年4月28日投票
任期満了に伴う旭川市長選挙は昭和42年4月28日投票、即日開票され、社会党現職の五十嵐広三市長が、自民党新人の斉藤二郎元教育委員長を破り、再選を果たした。
当選 五十嵐広三 社前 73,162 票
斉藤 二郎 自新 53,763 票
□昭和38年4月30日投票
任期満了に伴う旭川市長選挙は昭和38年4月30日投票、即日開票され、社会党新人の五十嵐広三氏が、自民党新人の前田善次元代議士を破り、初当選を果たした。
当選 五十嵐広三 社新 35,194 票
前田 善次 自新 33,551 票
□昭和34年4月30日投票
任期満了に伴う旭川市長選挙は昭和34年4月30日投票、即日開票され、自民現職の前野与三吉氏が、同じく新人の武田信之助氏、木下源吾氏、板谷勇氏を破り、再選を果たした。
当選 前野与三吉 自現 46,643 票
武田信之助 無新 27,102票
木下 源吾 無新 10,693票
板谷 勇 無新 726票
□昭和30年3月31日投票
任期満了に伴う旭川市長選挙は昭和30年3月31日投票、即日開票され、元職の前野与三吉氏が、現職の坂東幸太郎市長、五十嵐久弥氏を破り、返り咲きを果たした。
当選 前野与三吉 無元 35,788 票
坂東幸太郎 無前 30,031票
五十嵐久弥 共新 3,721票
□昭和26年4月23日投票
任期満了に伴う旭川市長選挙は昭和26年4月23日投票、即日開票され、新人の坂東幸太郎氏が、現職の前野与三吉市長を破り、初当選を果たした。新人の五十嵐久弥氏は辞退した。
当選 坂東幸太郎 無新 31,904票
前野与三吉 無前 27,649票
五十嵐久弥 共新 辞退
□昭和22年6月10日投票
旭川市長選挙は昭和22年6月10日投票、即日開票され、新人の前野与三吉氏が、同じく新人の田島豊吉氏を破り初当選を果たした。
当選 前野与三吉 無新 12,689票
田島 豊吉 無新 9,758票
□昭和22年4月5日投票
旭川市長選挙は昭和22年4月5日投票、即日開票され、新人の大塚守穂氏が、同じく新人の佐藤門治氏、藤井敬三氏を破り、初当選を果たした。
当選 大塚 守穂 無新 17,069票
藤井 敬三 無新 12,405票
藤井 敬三 共新 4,716票
○帯広市長選挙(4月20日任期満了)
【現職の砂川敏文氏の経歴】
砂川氏は、昭和23年1月21日生、香川県大川郡志度町出身、帯広畜産大畜産学部草地学科卒。45年農林水産省農地局経済課入省、63年北海道開発局帯広開発建設部次長、平成6年同局会計課長、8年官房調整官、9年10月同退官、10年4月市長就任。現在2期目。
【帯広市長選挙経過】
□平成17年11月2日、帯広選挙管理委員会は次期市長選挙(任期満了は平成18年4月20日)の日程を平成18年4月9日告示、同月16日投票と決めた。即日開票される。
□平成17年10月18日、砂川敏文連合後援会(梶原雅仁会長)は同市内の寿御苑で総会を開き、現職の砂川敏文(57歳)に3選出馬要請を行った。
□平成17年5月、前回の市長選挙に立候補し落選した川原勲三牧師は平成18年の同市長選挙に再出馬することを表明した。
川原氏は、広島県三原市本籍、日本バプテスト神学校卒。十勝平野キリスト教会牧師。
【平成14年4月14日帯広市長選挙結果】
任期満了に伴う帯広市長選挙は平成14年4月14日投票、即日開票され、現職の砂川敏文(すながわ・としふみ、54歳=無所属、自民党推薦)市長が、新人の大塚徹(おおつか・とおる、50歳=無所属、連合帯広推薦)自民党代議元士秘書、畑中庸助(はたなか・ようすけ、50歳=共産党公認)共産党帯広市議団事務局長、石井啓裕(いしい・ひろやす、61歳=無所属)前帯広市議会議員、川原勲三(かわはら・くんそう、46歳=無所属)牧師の4人を破り再選を果たした。立候補者数5人は同市長選挙史上最多の記録。
政治倫理に問われ自民党離党に追い込まれた鈴木宗男衆議院議員の動向が注目されたが、地元選出の中川昭一衆議院議員の陣頭指揮には歯が立たなかった。
砂川氏は、昭和23年1月21日生、香川県大川郡志度町出身、帯広畜産大畜産学部草地学科卒。45年農林水産省農地局経済課入省、63年北海道開発局帯広開発建設部次長、平成6年同局会計課長、8年官房調整官、9年10月同退官、10年4月市長就任。
有権者数 134,806人
投票者数 79,996人
投票率 59.34%
無効票 802票
当選 砂川 敏文 41,210票
大塚 徹 24,416票
畑中 庸助 6,035票
石井 啓裕 5,941票
川原 勲三 1,591票
【帯広市長選挙経過】
□平成14年2月13日、連合北海道帯広地区連合会は帯広市内で臨時総会を開き平成14年4月7日告示される帯広市長選挙に出馬する大塚徹(おおつか・とおる、49歳)自民党元代議士秘書の推薦を決めた。
□平成14年2月6日、自民党道連選対委員会で平成14年4月7日告示される帯広市長選挙に出馬する現職の砂川敏文(すながわ・としふみ、53歳)市長の推薦を決めた。
□平成14年2月5日、川原勲三(46歳)牧師は平成14年4月7日告示される同市長選挙に出馬することを表明した。
川原氏は、広島県三原市本籍、日本バプテスト神学校卒。十勝平野キリスト教会牧師。
□平成14年2月1日、石井啓裕(61歳)帯広市議会議員は平成14年4月7日告示される同市長選挙に出馬することを表明した。
石井氏は、昭和15年11月29日生、帯広出身、中央大法学部卒。金融・不動産会者経営、61年市議補選で初当選、現在4期目、前市長の高橋氏とは盟友関係。
□平成14年1月29日、畑中庸助(50歳)共産党帯広市議団事務局長は平成14年4月7日告示される同市長選挙に出馬することを表明した。
畑中氏は、白糠町出身、北大中退。帯広市民生協管理部長、共産党帯広市議団事務局長、平成11年帯広市議選に出馬し落選している。
□平成13年12月30日、現職の砂川敏文(すながわ・としふみ、53歳)市長は中川昭一衆院議員や自民党道議など同席した記者会見場(帯広市内のホテル)で平成14年4月7日告示される同市長選挙に再選を目指して出馬することを表明した。
砂川氏は、昭和23年1月21日生、香川県さぬき市出身、帯広畜産大畜産学部卒。北海道開発局会計課長、官房調整官、平成10年4月市長就任。現在1期目。
□平成13年12月23日、大塚徹(おおつか・とおる、49歳)代議士秘書は帯広市内のホテルで記者会見し、正式に次期市長選挙に出馬する事を表明した。(経歴は下記)
□平成13年12月8日、中川昭一衆議院議員は帯広市内で行われた同氏の後援会パーティーで砂川敏文帯広市長の再選を支持することを明言した。前回と同様に中川代議士の全面バック態勢で選挙戦にはいる。
□平成13年12月、現職の砂川敏文(すながわ・としふみ、53歳)市長は、平成14年4月7日告示に同市長選挙に再選を目指して出馬する意向を固めた。
□平成13年11月22日、帯広市選挙管理委員会は次期市長選挙(任期満了は平成14年4月20日)の日程を平成14年4月7日告示、同14日投票と決めた。即日開票される。
□平成13年11月、大原洋一(おおはら・よういち、58歳)会社社長は次期市長選挙に出馬の意向を示した。(平成14年1月31日出馬断念)
大原氏は、札幌市出身、帯広三条高卒、帯広畜産大卒。同大学助手、助教授、平成3年3月同退職、同年エー・ジー・イー研究所設立(バイオコンサルタント会社)、「21世紀地域振興プロジェクト懇話会」呼びかけ人。父は故・大原久友氏で元帯広畜産大学長。
□平成13年10月21日、大塚徹(おおつか・とおる、49歳)代議士秘書は次期市長選挙に出馬の意向を固めた。
大塚氏は、帯広市出身、帯広三条高卒、中央大学法学部卒。卒業後、故・荒井将敬代議士秘書を経て、現在自民党江藤・亀井派の荒井広幸代議士政務担当秘書、東京在住。父は元帯広地区労初代議長。水野正光帯広市議会議員(保守党・5期)は知人、年内に帯広に戻り出馬の準備を本格化する。
□平成13年10月16日、帯広市議会決算審査特別委員会で国保会計決算認定に関する採決が行われ、帯広市政では2回目(1回目は昭和49年・吉村市政)の決算不認定が決まった。平成12年3月議会の予算削減に続き、全会一致の決算不認定となった砂川市政は「根回しやブレーン政治を排除するのは官僚手法そのもの」と言われ、砂川市長と議会との溝は当分埋まりそうもない。
【過去の帯広市長選挙結果】
□平成10年4月12日投票
保守奪還 砂川氏が当選を果たす
任期満了に伴う帯広市長選挙は平成10年4月12日投票、即日開票され、新人の砂川敏文(前開発局官房調整官・50歳)氏=自民推薦が、現職の高橋幹夫(たかはし・みきお、57歳)市長=民主、社会推薦と、新人の野坂勲(帯広民商事務局長・47歳)氏=共産推薦を破り初当選を果たした。
今回の市長選挙で、自民党は、党道連会長の中川昭一衆院議員を砂川氏の選対本部長に据え、保守奪還を目指したが、鈴木宗男北海道開発庁長官が公然と現職の高橋氏を支援。中川・鈴木両氏の代理戦争になった。
砂川氏は帯広畜産大学畜産学部卒、前職は開発局官房調整官。
当日有権者数 131,225人
当日投票者数 90,403人
投票率 68.89%
当選 砂川 敏文 無新 45,196票
高橋 幹夫 無前 39,318票
野坂 勲 無新 5,237票
□平成6年4月17日投票
任期満了に伴う帯広市長選挙は平成6年4月17日投票、即日開票の結果、現職の高橋幹夫市長(53歳)が、新人の古沢慎二氏(52歳)、同じく新人の跡辺裕行氏(28歳)を破り、再選を果たした。投票率は前回を下回り、同市長選では過去2番目の低さとなった。
高橋氏は、「市政の継続」を訴えながら連合帯広の推薦も受け組織票を固め、告示直前に同市助役への恐喝事件が発覚し批判を受けたが、逆に運動が引き締まった。
古沢氏は、中川昭一衆院議員の後援会幹事長を長く務め、中川昭一衆院議員、小野寺勇道議が支援し、中川後援会をバックに商工業、自営業者を中心に支持を広げたが、中川氏と鈴木宗男衆院議員の確執から、自民党内を一本化できず、事実上の分裂選挙で保守支持層が離反した。
当日有権者数 124,851人
当日投票者数 82,613人
投票率 66.17%
当選 高橋 幹夫 無前 43,607票
古澤 慎二 無新 32,996 票
跡辺 裕行 無新 5,536 票
□平成2年4月15日投票
任期満了に伴う帯広市長選挙は平成2年4月14日投票、即日開票の結果、新人の高橋幹夫氏(社会党推薦)が、現職の田本市長と、新人の加賀谷氏を破り、初当選した。
16年ぶりの革新市政となった今回の選挙戦は、革新票は3万5千票しかない中で高橋氏の得票は4万2千票。保守票(鈴木派の票)が大量に高橋氏に回った、とされる。
高橋氏は、昭和16年1月14日生、帯広市出身、早稲田大学文学部卒。同市職労委員長、生活環境部次長、昭和61年4月同市長選に出馬し落選、幕別自動車学校常務取締役。
当日有権者数 118,654人
当日投票者数 80,721人
投票率 68.03%
当選 高橋 幹夫 無新 41,750票
田本 憲吾 無前 35,392 票
加賀谷敏男 無新 3,018 票
□昭和61年4月13日投票
任期満了に伴う帯広市長選挙は昭和61年4月13日投票、即日開票の結果、現職の田本市長が、新人の高橋氏、加瀬谷氏、藤本氏を破り、4選を果たした。
当日有権者数 112,164人
当日投票者数 91,313人
投票率 81.41%
当選 田本 憲吾 無前 48,744 票
高橋 幹夫 無新 38,488票
加賀谷敏男 共新 2,933 票
藤本 國夫 無新 766 票
□昭和57年4月18日投票
任期満了に伴う帯広市長選挙は昭和57年4月18日投票、即日開票の結果、現職の田本市長が、新人の山本氏、同じく新人の丸山氏を破り、3選を果たした。
当日有権者数 105,102人
当日投票者数 81,792人
投票率 77.81%
当選 田本 憲吾 無前 48,759
山本 忠次 無新 27,831票
丸山 敬三 無新 4,751 票
□昭和53年4月16日投票
任期満了に伴う帯広市長選挙は昭和53年4月16日投票、即日開票の結果、現職の田本市長が、新人の近藤氏を破り、再選を果たした。
当日有権者数 97,911人
当日投票者数 81,522人
投票率 83.26%
当選 田本 憲吾 無前 49,844票
近藤 守治 無新 31,370 票
□ 昭和49年4月21日投票
自民推薦田本氏当選し吉村革新市政崩壊
現職の吉村博革新市長突然辞任に伴う帯広市長選挙は昭和49年4月21日投票、即日開票の結果、新人の田本憲吾氏(自民党)が、新人の熊谷克治前道議会議員(吉村市長後継者)、同じく新人の湊氏を破り初当選。約20年ぶりの保守奪還となった。
田本氏は、昭和4年6月8日生、帯広市出身、日大理工学部卒。田本食堂代表取締役。
敗れた熊谷氏は、昭和4年6月1日生、帯広市出身、帯広畜専修。帯広柏小・明星小各教諭、北教組帯広支部委員長、帯広地区労議長、46年道議初当選(社会党)、49年の同市長選挙落選後50年道議に返り咲く。
当日有権者数 91,425人
当日投票者数 76,792人
投票率 83.99%
当選 田本 憲吾 無新 35,975 票
熊谷 克治 無新 35,775 票
湊 昇 共新 4,777 票
※ 辞職した吉村氏は、明治44年4月1日生、池田町出身、帯広中、昭和7年国民高等学校(茨城県)、家業の木材会社専務、22年社会党入党、市公安委員、消防団副団長、30年3月帯広市長選落選、同6月現職の佐藤亀太郎市長(3期)病死、同8月再出馬で市長当選(44歳・左派社会党)。
市長は吉村博(社会党)、国会議員は中川一郎(自民党)とお互いの選挙を支援し“ねじれの構図”で“危険な関係”の政治バランスをとって5選を果たすが、49年2月市議会で47年度決算を不認定(市政初)され、幾度の不祥事(物品購入の不正事件)などで助役・総務部長が相次いで辞職、吉村市政が持たなくなり、49年3月3日本人不在で辞任(5期・18年)した。吉村氏は本道革新首長の草分けでリーダー的存在、全国革新市長会副会長、本道革新市長会長を務めた。
○岩見沢市長選挙(10月19日任期満了)
【現職の渡辺孝一氏の経歴】
渡辺氏は、東京出身、岩見沢東高校、東日本学園大卒(北海道医療大学)、岩見沢で歯科医を開業、同青年会議所理事長、岩見沢市PTA連合会会長。平成12年の衆院選で自民党の公認を得られず出馬断念。平成14年市長就任。現在1期目。
【新「岩見沢市」の誕生】
平成18年3月27日、栗沢町と北村が岩見沢市に編入(栗沢町長・北村長=3月26日失職){栗沢町長の任期満了は平成19年4月30日・北村長の任期満了は平成19年3月30日}※廃町村の詳細は町村編に掲載
【平成14年10月6日岩見沢市長選挙結果】
新人の渡辺氏(44歳)大差をつけて当選
任期満了に伴う岩見沢市長選挙は平成14年10月6日投票、即日開票され、新人の渡辺孝一(わたなべ・こういち、44歳)歯科医師が、現職の能勢邦之(のせ・くにゆき、67歳)市長と、新人の木村衛(いむら・まもる、63歳)岩見沢労働組合総連合事務局長を破り初当選を果たした。
能勢市政の官製談合疑惑で公正取引委員会が調査に入り、市の対応が不透明で、市民に説明責任を果たさなかった能勢市長への政治責任批判が大きかった。今年の横浜市長選挙(3月)のように行政経験豊かな現職の多選候補が敗れ、若い新人の行政刷新を訴える候補が勝利する「首長を変え、今から改革=世代交代」の流れは全国的に拡大していりる。
渡辺氏は、東京出身、岩見沢東高校、東日本学園大卒(北海道医療大学)、岩見沢で歯科医を開業、同青年会議所理事長、岩見沢市PTA連合会会長。平成12年の衆院選で自民党の公認を得られず出馬断念。
有権者数 67,428人
投票者数 41,468人
投票率 61.50%
無効票 486票
当選 渡辺 孝一 20,158票
能勢 邦之 16,065票
木村 衛 4,759票
【岩見沢市長選挙経過】
□平成14年9月6日、木村衛(63歳)岩見沢労働組合総連合事務局長は平成14年9月29日告示される岩見沢市長選挙に出馬することを表明した。
木村氏は、栗沢町出身、岩見沢東高定時制、酪農学園大学酪農学部卒。公立高校教諭、高教組空知支部長、岩見沢労働組合総連合事務局長を歴任。
□平成14年8月8日、現職の能勢邦之(のせ・くにゆき、67歳)市長は平成14年9月29日告示される岩見沢市長選挙に4選を目指して出馬することを表明した。
能勢氏は、昭和9年12月22日生、岩見沢市出身、岩見沢西高卒、北大大院法学部修。自治省入省、国土庁官房審議官、自治省官房審議官、自治体国際化協会専務理事を歴任。平成2年10月市長就任。現在3期目。
□平成14年7月30日、渡辺孝一(44歳)歯科医師、故・渡辺省一元衆議院議員の長男が平成14年9月29日告示される岩見沢市長選挙に無所属で出馬することを表明した。
渡辺氏は、東京出身、岩見沢東高校、東日本学園大卒(北海道医療大学)、岩見沢で歯科医を開業、同青年会議所理事長、岩見沢市PTA連合会会長。平成12年の衆院選で自民党の公認を得られず出馬断念した経過がある。
□平成14年7月29日、岩見沢市選挙管理委員会は次期市長選挙(任期満了は平成14年10月19日)の日程を平成14年9月29日告示、10月6日投票と決めた。即日開票される。同時に同市議会議員の補欠選挙(欠員1名)も行われる。
現職の能勢邦之(のせ・くにゆき)市長はまだ出馬表明はしていない。
【平成10年10月4日岩見沢市長選挙結果】
任期満了に伴う岩見沢市長選挙は平成10年10月4日投票、即日開票され、現職の能勢邦之(のせ・くにゆき、63歳)市長が、新人の前市議・元道議吉田英治(72歳)氏、同じく新人の同市元市民福祉部長谷口洋一(58歳)を破り3選を果たした。
能勢氏は、昭和9年12月22日生、岩見沢市出身、北大法学部卒。国土庁官房審議官、自治省官房審議官、自治体国際化協会専務理事を歴任。能勢氏の父は岩見沢市議を務め22年と26年の市長選に革新系から出馬し落選、また吉田英治氏(市議時代)の後援会長だった。
当日有権者数 66,982人
当日投票者数 42,078人
投票率 62.82%
当選 能勢 邦之 無現(自民・民主推薦) 16,380票
吉田 英治 無新 15,314票
谷口 洋一 無新 9,840票
《解説》
能勢VS吉田――因縁の対決に決着
まさに因縁の対決だった。10月4日、投開票が行われた岩見沢市長選は現職の能勢邦之が接戦を制して逃げ切った。しかし、能勢の得票数を大きく上回る2万5千票強もの批判票が能勢市政に対する市民の不満を如実に物語っている。三選を飾った能勢市長だが、庁内外での求心力は揺らぎ始めており、水面下ではポスト・能勢に向かっての動きに拍車がかかりそうだ。(敬称略)
任期満了に伴う岩見沢市長選は、現職の能勢に弓を引く形で市役所市民福祉部長だった谷口洋一が昨年12月、早々と出馬表明したことで混乱劇の幕が開けた。これに市長選に 3度目の挑戦となる元道議で市議を辞して出馬した吉田英治が参戦、三つどもえの展開となった。
その前に過去の市長選を振り返ってみたい。能勢の前任として5期20年間市長の座にあったのが国兼孝治。国兼が市総務部長から市長選に出馬した際、対抗馬として革新系から出たのが市議だった吉田だ。結局、国兼は 5期連続で市長を務め上げるが、吉田は後に道議に転じて 4期連続当選を果たす。つまり岩見沢の政界を代表するポストを国兼と吉田が分けあってきたことになる。しかし、吉田には市長ポストへの執着心は消えることはなかったようだ。
吉田が再び市長選に燃えた8年前、国兼の後継として岩見沢出身で自治省のエリート官僚だった能勢に出馬の打診があった際、吉田とは戦いたくない事情があったという。能勢の父・実は市議時代の吉田の後援会会長を務めたほか、昭和22年、26年に実が市長選に出馬、惜敗した当時、地区労の活動家だったが吉田が能勢の家に泊まり込んで戦ったからだ。吉田にも逡巡する気持ちがなかったわけではない。当時の横路道政を支える社会・道民連合は少数与党として綱渡りの議会運営を強いられており、長老の吉田が道議会から去ることの影響は少なくなかった。当然、周囲は「晩節を汚す」「負ければ政治生命はない」などと翻意を促したが、もともと権力志向の強い吉田には市長選しか頭がなかった。結果は 4千票の大差で能勢が初陣を飾り、因縁の対決に終止符を打ったかに見えた。
しかし、因縁の対決は再び巡ってきた。それもこれも能勢の不徳の致すところだろう。市民の間には「除排雪が不十分」「図書館や市民会館の整備が遅れている」など能勢姿勢への不満が広がっており、前回、能勢を支持した岩見沢地区連合は推薦を見送った。
こうした批判を背景に早々と出馬を表明した谷口は政策宣伝ビラを全戸配布するなど、きめ細かな活動を展開してきた。吉田氏は同氏の後援会や共産党などで構成する「新しい市政をつくる会」の推薦を受け、9月に入り急きょ名乗りを上げた。70年、90年に続く三度目の市長選出馬となったが、出遅れや72歳という高齢も影響してか、能勢の16,380票に対して15,314票と、いま一歩及ばなかった。知名度を生かして健闘したといえるが、前々回の市長選敗北後、道議から市議に転身してまで市長の座に固執した吉田の執念もここにきて力尽きた。
それにしても谷口の9,840票を加えると、批判票が25,000票を超えたことになり、能勢にとって今後の市政運営は極めて厳しいものになりそうだ。
【過去の岩見沢市長選挙結果】
□平成6年10月2日投票
任期満了に伴う岩見沢市長選は平成6年10月2日投票、即日開票の結果、現職の能勢邦之市長(59歳)が、新人の梅木和朗氏(66歳)を破り、再選を果たした。
市長公選になって以来2番目に低い投票率で、能勢市政への批判票が8,000票を超えた。
当日有権者数 63,836人
当日投票者数 30,327人
投票率 47.51%
当選 能勢 邦之 無前 21,053 票
梅木 和朗 無新 8,341 票
□平成2年10月14日投票
任期満了に伴う岩見沢市長選は平成2年10月14日投票、即日開票の結果、新人の能勢邦之氏が、同じく新人の吉田前道議会議員、高橋氏を破り、初当選した。
敗れた吉田氏は、昭和45年に市長選に出馬し国兼前市長に大敗、翌46年に市議選でトップ当選した。
当日有権者数 59,533人
当日投票者数 46,074人
投票率 77.39%
当選 能勢 邦之 無新 24,197 票
吉田 英治 無新 20,158 票
高橋 幸男 無新 1,531 票
□昭和61年10月5日投票
任期満了に伴う岩見沢市長選は昭和61年10月5日投票、即日開票の結果、現職の国兼市長が、新人の喜多氏を破り、5選を果たした。
当日有権者数 57,528人
当日投票者数 29,979人
投票率 52.11%
当選 国兼 孝治 無前 22,386 票
喜多 忠男 無新 6,445 票
□昭和57年10月3日投票
任期満了に伴う岩見沢市長選は昭和61年10月5日投票、即日開票の結果、現職の国兼市長が、新人の安彦氏、きた氏、鈴木氏を破り、4選を果たした。
当日有権者数 55,245人
当日投票者数 44,990人
投票率 81.44%
当選 国兼 孝治 無前 25,463 票
安彦 昭 無新 16,623 票
きた 忠雄 無新 2,520 票
鈴木 博 無新 151 票
□昭和53年10月8日投票
任期満了に伴う岩見沢市長選は昭和61年10月5日投票、即日開票の結果、現職の国兼市長が、新人の千葉氏を破り、3選を果たした。
当日有権者数 51,148人
当日投票者数 39,714人
投票率 77.65%
当選 国兼 孝治 無前 22,728票
千葉 国雄 無新 16,853 票
□昭和49年10月6日投票
任期満了に伴う岩見沢市長選は昭和61年10月5日投票、即日開票の結果、現職の国兼市長が、新人の千葉氏、梅木氏を破り、再選を果たした。
国兼氏は、大正6年11月20日生、奈井江町出身、自治講習所修。昭和14年軍隊入隊、17年同市役所入り、18年再入隊で樺太、終戦後豊原収容所(3年間)、市役所復職、37年総務部長。45年10月、吉田英治前社会党総支部長を破って市長就任。
当日有権者数 47,405人
当日投票者数 32,880人
投票率 69.36%
当選 国兼 孝治 無前 22,190 票
千葉 正美 社新 7,266 票
梅木 和朗 共新 3,266票
○網走市長選挙(11月30日任期満了)
【現職の大場脩氏の経歴】
大場氏は、昭和12年5月26日生、常呂町出身、網走南ヶ丘高卒。同市経済部長、総務部長、教育長、助役を歴任。平成14年市長就任。現在2期目。
【平成14年11月3日網走市長選挙結果】
任期満了に伴う網走市長選挙は平成14年11月3日告示され、現職の大場脩(おおば・おさむ、65歳)市長以外に立候補の届出がなく同氏の無投票再選が決まった。
大場氏は、昭和12年5月26日生、常呂町出身、網走南ヶ丘高卒。同市経済部長、総務部長、教育長、助役を歴任。
【平成14年網走市長選挙経過】
□平成14年9月2日、現職の大場脩(おおば・おさむ、65歳)市長は網走市内で記者会見し平成14年11月3日告示される同市長選挙に再選を目指して出馬することを表明した。自民、民主、公明の各党は同氏の推薦を決めている。
大場氏は、昭和12年5月26日生、常呂町出身、網走南ヶ丘高卒。同市経済部長、総務部長、教育長、助役を歴任。平成10年11月市長就任。現在1期目。
□平成14年6月2日、網走市選挙管理委員会は次期市長選挙(任期満了は平成14年11月30日)の日程を平成14年11月3日告示、同10日投票と決めた。即日開票される。
【平成10年11月8日網走市長選挙結果】
任期満了に伴う網走市長選挙は、平成10年11月8日投票、即日開票され、新人の前同市助役大場脩(おおば・おさむ、61歳)氏が、新人の小田部善治(57歳・市議)氏、同じく新人の大江道男(52歳)氏を破り、初当選した。
大橋は、昭和5年4月1日生、網走市出身、網走南ヶ丘高卒。同市総務部長、教育長、助役を歴任。
当日有権者数 33,434人
当日投票者数 23,744人
投票率 71.02%
当選 大場 脩 無新 12,490票
小田部善治 無新 7,630票
大江 道男 共無 3,424票
《解説》
38年ぶりに地元市長誕生
網走市長選は、6期務めた安藤哲郎市長の事実上の後継候補で民主党の推薦を受けた前助役の大場脩氏が、自民党の道議、市議をそれぞれ2期経験し知名度のある小田部善治氏に約5千票もの大差を付けて初陣を飾った。自民党が自主投票に回ったため小田部陣営は支持基盤の弱さが響いた。共産新人の大江道男氏は共産党以外にも支持を広げて善戦したが及ばなかった。投票率は70.02 %で前回を20.19ポイント上回った。
大場氏は助役当時から次期市長候補の呼び声が高く、安藤市長の勇退表明を受けて出馬表明すると、市内の主だった団体、企業が大場氏の応援に回り、いち早く選挙態勢を整えたのが勝因だ。
【過去の網走市長選挙結果】
□平成6年11月6日投票
任期満了に伴う網走市長選挙は平成6年11月6日投票、即日開票され、現職の安藤市長が、新人の松浦氏を破り、6選を果たした。
当日有権者数 32,507人
当日投票者数 16,522人
投票率 50.83%
当選 安藤 哲郎 無前 13,258 票
松浦 敏司 共新 2,949 票
□平成2年11月4日投票
任期満了に伴う網走市長選挙は平成2年11月4日投票、即日開票され、現職の安藤市長が、新人の八木禧幸氏(同前市議会議長)、同じく新人の松浦敏司氏を破り5選を果たした。今回立候補した八木氏は、安藤氏が網走支庁長時代に、同市長選に安藤氏を担ぎ出した張本人だった。
当日有権者数 31,132人
当日投票者数 23,654人
投票率 75.98%
当選 安藤 哲郎 無前 13,710 票
八木 禧幸 無新 8,692 票
松浦 敏司 共新 1,101 票
□昭和61年11月9日投票
任期満了に伴う網走市長選挙は昭和61年11月9日投票、即日開票され、現職の安藤市長が、新人の松浦敏司氏を破り4選を果たした。
当日有権者数 30,452人
当日投票者数 15,695人
投票率 51.54%
当選 安藤 哲郎 無前 10,748票
松浦 敏司 共新 4,399 票
□昭和57年11月7日投票
任期満了に伴う網走市長選挙は昭和57年11月7日投票、即日開票され、現職の安藤市長が、新人の米谷道保氏を破り3選を果たした。
当日有権者数 30,077人
当日投票者数 17,945人
投票率 59.66%
当選 安藤 哲郎 無前 13,591 票
米谷 道保 無新 3,919 票
□昭和53年11月12日告示
任期満了に伴う網走市長選挙は昭和53年11月12日告示され、現職の安藤市長以外に立候補の届け出がなく、同氏の無投票再選が決まった。
□昭和49年12月1日投票
現職の佐藤忠吉市長辞職に伴う網走市長選挙は昭和49年12月1日投票、即日開票され、新人の安藤氏が、同じく新人の伊藤氏を破り初当選した。
安藤氏は、大正15年3月1日生、端野町出身、北大卒。自治大臣官房総務課長補佐、道総務部企画課長、総務部次長、網走支庁長を歴任。
佐藤氏は、仙台出身、東北学園高校卒。終戦時は陸軍少佐、昭和23年道民生部、34年網走支庁長、道総務部次長、知事室長、道東京事務所長、39年2月遠藤熊吉前市長辞職の後を継ぎ市長に就任。47年1月3選を果たす。
当日有権者数 28,127人
当日投票者数 24,506人
投票率 87.13%
当選 安藤 哲郎 無新 15,088 票
伊藤 秀雄 無新 9,236 票
○留萌市長選挙(3月9日任期満了)
【現職の長沼憲彦氏の経歴】
長沼氏は、昭和9年12月8日生、福島県出身、福島県立会津高卒、道立農業技術講習所修了。道商工労働観光部次長、留萌支庁長を歴任。(社)北海道家畜改良事業団専務理事を経て、平成6年3月市長に就任。現在3期目。
【留萌市長選挙の経過】
現職長沼市長今期限りの勇退
□平成17年10月8日、現職の長沼憲彦(70歳)市長は後援会の役員会で「3期12年が節目」と延べ、次期市長選挙(任期満了は平成18年3月9日)に出馬しないことを明らかにした。
長沼氏は、昭和9年12月8日生、福島県出身、福島県立会津高卒、道立農業技術講習所修了。道商工労働観光部次長、留萌支庁長を歴任。(社)北海道家畜改良事業団専務理事を経て、平成6年3月市長に就任。現在3期目。
□平成17年10月12日、留萌市選挙管理委員会は次期市長選挙(任期満了は平成18年3月9日)の日程を平成18年2月12日告示、同月19日投票と決めた。即日開票される。同時に同市議会議員の補欠選挙も執行される。
【平成14年2月10日留萌市長選挙結果】
任期満了に伴う留萌市長選挙は平成14年2月10日告示され、現職の長沼憲彦(ながぬま・のりひこ、67歳)市長以外に立候補の届出が無く同氏の無投票3選が決まった。
長沼氏は、昭和9年12月8日生、福島県出身、福島県立会津高卒、道立農業技術講習所修了。道商工労働観光部次長、留萌支庁長を歴任。(社)北海道家畜改良事業団専務理事を経て、平成6年3月市長に就任。
【平成14年2月10日留萌市長選挙経過】
□平成13年12月13日、現職の長沼憲彦(ながぬま・のりひこ、67歳)市長は後援会役員会で平成14年2月10日告示の同市長選挙に3選を目指して出馬することを表明した。
長沼氏は、昭和9年12月8日生、福島県出身、県立会津高、道立農業技術講習所卒。道商工労働観光部次長、留萌支庁長を歴任。(社)北海道家畜改良事業団専務理事を経て、平成6年3月市長に就任。現在2期目。
□平成13年11月7日、留萌市選挙管理委員会は次期市長選挙(任期満了は平成14年3月9日)の日程を平成14年2月10日告示、同17日投票投票と決めた。即日開票される。
【過去の留萌市長選挙経過】
□平成10年3月1日投票
長沼氏(道庁OB)が菊池氏(市OB)を破り再選
任期満了に伴う留萌市長選挙は平成10年3月1日投票、即日開票され、現職の長沼憲彦(ながぬま・のりひこ・63歳)市長が、新人の菊池健氏(前市教育長・61歳)を破り再選を果たした。12年ぶりの選挙戦となった留萌市長選挙は、同市職労の委員長の経験もある地元出身の菊池氏が、草の根選挙を展開したが、移入候補の長沼氏に、及ばなかった。
長沼氏は、昭和9年12月8日生、福島県出身、会津高、道立農業技術講習所卒。道商工労働観光部次長、留萌支庁長を歴任。(社)北海道家畜改良事業団専務理事を経て、平成6年年3月市長選に出馬し、無投票で初当選を飾った。
当日有権者数 23,266人
投票者数 17,642人
投票率 75.83%
当選 長沼 憲彦 10,984票
菊池 健 6,523票
□平成6年2月27日告示
任期満了に伴う留萌市長選挙は平成6年2月20日告示され、新人の長沼憲彦前留萌支庁長(59歳)以外に立候補の届け出がなく、同氏の無投票当選が決まった。
現職の五十嵐悦郎市長は平成5年10月、病気を理由に三選不出馬を表明。地元各界の代表に市長候補推薦の要請を受けた道は平成6年2月2日長沼氏を推薦した。
□平成2年2月18日告示
任期満了に伴う留萌市長選挙は平成2年2月18日告示され、現職の五十嵐市長以外に立候補の届け出がなく、同氏の無投票再選が決まった。
□昭和61年3月2日投票
任期満了に伴う留萌市長選挙は昭和61年3月2日投票、即日開票され、新人の五十嵐氏が、同じく新人の野越氏を破り初当選した。
当日有権者数 25,028人
当日投票者数 18,069人
投票率 72.2%
当選 五十嵐悦郎 15,867票
野越 実 2,013 票
□昭和57年3月7日投票
任期満了に伴う留萌市長選挙は昭和57年3月7日投票、即日開票され、現職の原田市長が、新人の工藤氏を破り6選を果たした。
当日有権者数 25,217人
当日投票者数 11,729人
投票率 82.23%
当選 原田 栄一 11,729票
工藤 葵 8,844票
□ 昭和53年3月5日投票
任期満了に伴う留萌市長選挙は昭和53年3月5日投票、即日開票され、現職の原田市長が、新人の工藤氏を破り5選を果たした。
当日有権者数 25,604人
当日投票者数 20,404人
投票率 79.69%
当選 原田 栄一 11,429票
工藤 葵 8,823票
□昭和49年3月3日告示
任期満了に伴う留萌市長選挙は昭和49年3月3日告示され、現職の原田市長以外に届け出がなく、同氏の無投票4選が決まった。
原田氏は、明治44年6月20日生、庁立留萌中学卒。原田財閥の家業を継ぐ、留萌商工会議所会頭。昭和37年3月、橋本作市革新系市長の3選を阻止し市長に就任(父・太八は22年から29年まで同市長)。
○根室市長選挙(9月29日任期満了)
【現職の藤原弘氏の経歴】
藤原氏は、昭和11年11月16日生、埼玉県出身。熊谷高、北海道大学水産学部卒。34年4月入庁、60年水産部魚政課長、63年同技監、平成元年根室支庁庁、3年水産部長、6年同退職、10年6月道漁業信用基金協会副理事長辞任。10年9月市長就任。現在2期目。
【平成14年9月15日根室市長選挙結果】
任期満了に伴う根室市長選挙は平成14年9月15日投票、即日開票され、現職の藤原弘氏(ふじわら・ひろし、65歳=自民・民主・社民・公明推薦)市長が、新人の安達正敏(あだち・まさとし、60歳=共産党推薦)前同市議を破り再選を果たした。
藤原氏は、昭和11年11月16日生、埼玉県出身。熊谷高、北海道大学水産学部卒。34年4月入庁、60年水産部魚政課長、63年同技監、平成元年根室支庁庁、3年水産部長、6年同退職、10年6月道漁業信用基金協会副理事長辞任。10年9月市長就任。
敗れた安達氏は、昭和16年9月24日生、樺太出身、根室高卒。郵便局員、根室市議8期。共産党員、共産党系市民団体「明日の根室をつくる市民の会」副代表。
有権者数 26,339人
投票者数 13,881人
投票率 52.70%
無効票 279票
当選 藤原 弘 10,951票
安達 正敏 2,651票
【平成14年根室市長選挙経過】
□平成14年6月17日、現職の藤原弘氏(ふじわら・ひろし、65歳)市長は市内で後援会総会が開かれた後、記者会見し平成14年9月8日告示される同市長選挙に再選を目指して出馬することを表明した。
藤原氏は、昭和11年11月16日生、埼玉県出身。熊谷高、北海道大学水産学部卒。34年4月入庁、60年水産部魚政課長、63年同技監、平成元年根室支庁庁、3年水産部長、6年同退職、10年6月道漁業信用基金協会副理事長辞任。10年9月市長就任。現在1期目。
□平成14年6月3日、根室市選挙管理委員会は次期市長選挙(任期満了は平成14年9月28日)の日程を平成14年9月8日告示、同15日投票と決めた。
【平成10年9月13日根室市長選結果】
道庁OBの藤原氏が現職破る
現職と道庁OBがマチを二分した戦いを繰り広げた、任期満了に伴う根室市長選は13日の即日開票で、自民党と連合が相乗りで推薦した元水産部長で根室支庁長を務めた藤原弘氏(61)が四選を目指した現職の大矢快治氏(70)を大差で下し、初陣を飾った。前回と同様、現職と道庁OBの対決に加え、自民党が現職と離反した戦いの構図に、選挙後のシコリを懸念する声が市民の間に強く、2000年とされる日ロ平和条約の締結を控え、停滞気味の国境の町をどう活性化するか、道庁OBをアピールした藤原市政の真価が一年目から問われそうだ。
前回まで三期連続して大矢氏を支持してきた自民党が離れ、対立候補の藤原氏の支援に回ったことが勝敗の分かれ目になった。また、鈴木官房副長官や北村衆院議員らが根室入りした。連合は今回も大矢氏との対決姿勢を明確にし、藤原氏と政策協定を結んだ。その見返りに自民党は来春の道議選に向けて民主現職の対抗馬擁立を見送った。来春の道知事選に見立てて、知事サイドは連合と自民党が手を握る再選戦略のテストケースとして選挙結果を注目していた。
藤原氏は、昭和11年11月16日生、東京都出身。熊谷高、北海道大学水産学部卒。34年4月入庁、60年水産部魚政課長、63年同技監、平成元年根室支庁庁、3年水産部長、6年同退職、10年6月道漁業信用基金協会副理事長辞任。
当日有権者数 26,781人
投票者数 20,746人
投票率 77.47%
当選 藤原 弘 12,781票
大矢 快治 7,753票
【過去の根室市長選挙経過】
□平成6年9月11日投票
任期満了に伴う根室市長選挙は平成6年9月11日投票、即日開票され、現職の大矢市長(66歳)が、新人の山本氏(前根室支庁長・60歳)、同じく新人の澁谷氏(47歳)を破り、3選を果たした。
当日有権者数 27,154人
当日投票者数 21,335人
投票率 78.57%
当選 大矢 快治 無前 11,551票
山本 信夫 無新 9,105 票
澁谷 肇 共新 589 票
□平成2年9月9日投票
任期満了に伴う根室市長選挙は平成2年9月9日投票、即日開票され、現職の大矢市長が、新人の澁谷氏を破り、再選を果たした。
当日有権者数 27,509人
当日投票者数 14,856人
投票率 54%
当選 大矢 快治 無前 11,775
渋谷 肇 共新 2,769
□昭和61年9月21日投票
任期満了に伴う根室市長選挙は昭和61年9月21日投票、即日開票され、新人の大矢氏が、同じく新人の阿部氏を破り、初当選した。
大矢氏は、昭和3年1月3日生、根室市出身、和田青年学校卒。同市立病院事務局長、総務部長、助役を歴任。
当日有権者数 28,672人
当日投票者数 15,862人
投票率 56.27%
当選 大矢 快治 無新 11,486票
阿部 将宏 無新 4,148 票
□昭和57年9月19日投票
任期満了に伴う根室市長選挙は昭和57年9月19日投票、即日開票され、現職の寺嶋市長が、新人の阿部氏を破り、3選を果たした。
当日有権者数 28,330人
当日投票者数 17,591人
投票率 62.09%
当選 寺嶋伊弉雄 無前 11,053
阿部 将宏 無新 6,137
□昭和53年9月10日投票
任期満了に伴う根室市長選挙は昭和53年9月10日投票、即日開票され、現職の寺嶋市長が、新人の工藤氏を破り、再選を果たした。
当日有権者数 28,474人
当日投票者数 17,637人
投票率 61.94%
当選 寺嶋伊弉雄 無前 11,786票
工藤 一夫 無新 5,631 票
□昭和49年9月29日投票
任期満了に伴う根室市長選挙は昭和49年9月29日投票、即日開票され、新人の寺嶋氏が、同じく新人の栃久保を破り、初当選した。
寺嶋氏は、大正9年7月4日生、根室市出身、自治講習所修。昭和11年和田村役場入り、26年根室議会事務局長、総務課長、総務部長、助役を歴任。
当日有権者数 28,289人
当日投票者数 22,756人
投票率 80.44%
当選 寺嶋伊弉雄 無新 12,696票
栃久保求一 無新 9,949票
□昭和47年9月17日投票
任期満了に伴う根室市長選挙は昭和47年9月17日投票、即日開票され、現職の横田俊夫市長が、新人の鈴木義澄(共産党)氏を破り4選を果たした。
横田氏は、明治43年1月生、東京都出身、長野県立小諸商業学校中退。昭和4年浦河支庁(日高支庁)勤務、18年根室支庁、戦後同経理係長、22年中標津村助役、23年同村長、32年歯舞村助役、34年根室市との合併で根室市助役、39年10月同市長。
当選 横田 俊夫 無現 10,926票
鈴木 義澄 共新 2,827票
○深川市長選挙(10月14日任期満了)
【現職の河野順吉氏の経歴】
河野氏は、昭和13年3月30日生、深川市出身、深川農業高校卒。同市議会副議長。平成6年10月市長就任。現在3期目。
【平成14年9月29日深川市長選挙結果】
任期満了に伴う深川市長選挙は平成14年9月29日投票、即日開票され現職の河野順吉(かわの・じゅんきち、64歳)市長が、新人の野中智行(のなか・ともゆき、66歳)共産党深川市委員長を破り3戦を果たした。
河野氏は、昭和13年3月30日生、深川市出身、深川農業高校卒。同市議会副議長。平成6年10月市長就任。
有権者数 22,124人
投票者数 14,417人
投票率 65.16%
無効票 261票
持ち帰り 1票
当選 河野 順吉 9,904票
野中 智行 4,251票
【平成14年深川市長選挙経過】
□平成14年8月24日、野中智行(66歳)共産党深川市委員長は「深川を愛する市民の会」(曽賀良弘代表)の要請を受け、平成14年9月22日告示される深川市長選挙に共産党推薦の無所属で出馬する意向を表明した。「深川を愛する市民の会」は民主商工会深川支部など6団体で組織している。
野中氏は、道学芸大学旭川卒。小中学校教員、共産党深川市委員長。
□平成14年5月8日、深川市選挙管理委員会は次期市長選挙(任期満了は平成14年10月14日)の日程を平成14年9月22日告示、同29日投票と決めた。即日開票される。
□平成14年3月5日、現職の河野順吉(かわの・じゅんきち、63歳)市長は定例市議会で次期市長選挙(任期満了は平成14年10月14日)に3選出馬の意向を表明した。
河野氏は、昭和13年3月30日生、深川市出身、深川農業高校卒。同市議会副議長。平成6年10月市長就任。現在2期目。
【平成10年の深川市長選挙結果】
□平成10年9月20日告示
現職の河野順吉市長が無投票で再選
任期満了に伴う深川市長選挙は平成10年9月20日告示され、現職の河野順吉(かわの・じゅんきち、60歳)市長以外に立候補の届出がなく、同氏の無投票再選が決まった。
河野氏は、昭和13年3月30日生、深川市出身、深川農業高校卒。同市議会副議長。平成6年10月市長就任。
深川市は、鳩山由紀夫、高橋辰夫、渡辺省一三派の確執で保守分裂、地区労と農民団体の足並みもそろわず、まちを二分する選挙戦が多かったが、過去10回の市長選で今回が初めての無競争。また、同市選出の水野重男道議(音江町農協組合長・道議会21’道民クラブ会長)が、同市長選公示10日前にの来年の道議選不出馬を表明したのも影響か。
【過去の深川市長選挙結果】
□平成6年10月2日投票
任期満了に伴う深川市長選挙は平成6年10月2日投票、即日開票され、新人の河野氏(56歳)が、同じく新人の村端氏(前同市総務部長・59歳)を破り、初当選した。
当日有権者数 22,837人
当日投票者数 18,876人
投票率 82.66%
当選 河野 順吉 無新 11,966票
村端 久和 無新 6,731票
□平成2年9月30日投票
任期満了に伴う深川市長選挙は平成2年9月30日投票、即日開票され、現職の藤田市長が、新人の安藤氏を破り、再選した。
藤田氏は、大正13年深川市出身、興亜工学院卒。深川市経済、建設、水道各部長、助役を歴任。昭和61年、市長選に出馬し、元市議、前市議会議長の保守系三つ巴の戦いで市長の座に。
当日有権者数 23,452人
当日投票者数 15,248人
投票率 65.02%
当選 藤田 守也 無前 9,617票
安藤 義春 無新 5,400票
□昭和61年9月28日投票
任期満了に伴う深川市長選挙は昭和61年9月28日投票、即日開票され、新人の藤田氏が、同じく新人の佐々木氏、伊藤氏を破り、初当選した。
当日有権者数 24,332人
当日投票者数 20,755人
投票率 85.31%
当選 藤田 守也 無新 8,442票
佐々木 実 無新 6,125 票
伊藤 充 無新 5,977 票
□昭和57年9月26日投票
任期満了に伴う深川市長選挙は昭和57年9月26日投票、即日開票され、現職の桜井市長が、新人の伊藤氏を破り、再選を果たした。
当日有権者数 24,681人
当日投票者数 20,327人
投票率 82.35%
当選 桜井 清美 無前 11,037票
伊藤 充 無新 9,127 票
□昭和53年10月15日投票
深川市長選挙は昭和53年10月15日投票、即日開票され、新人の桜井氏が、新人の赤井氏を破り、初当選した。
桜井氏は、大正5年7月25日生、深川市出身、自治大学校修。同市総務部長、助役を歴任。
当日有権者数 24,757人
当日投票者数 19,717人
投票率 79.64%
当選 桜井 清美 無新 15,149 票
赤井 海大 無新 3,975 票
□昭和50年6月15日投票
任期満了に伴う深川市長選挙は昭和50年6月15日投票、即日開票され、現職の真鍋市長が、新人の水谷氏、赤井氏を破り、3選した。
真鍋氏は、深川出身。昭和24年深川町議会議長、31年同町長就任、38年市制施行の新市長選挙落選、42年深川市長就任。
当日有権者数 24,570人
当日投票者数 22,561人
投票率 91.82%
当選 真鍋 政之 無前 12,691 票
水谷 勤 無新 7,481 票
赤川 海大 共新 1,868 票
○富良野市長選挙(5月14日任期満了)
【現職の高田忠尚氏の経歴】
高田氏は、昭和18年8月15日生、富良野市出身、38年道上川支庁農業学園修了。38年農業従事、46年北海道青年会館理事、52年富良野農業協同組合理事、平成2年同第1理事、6年5月市長就任。現在3期目。
【平成18年富良野市長選挙経過】
□平成17年12月2日、富良野市選挙管理委員会は次期市長選挙(任期満了は平成18年5月14日)の日程を平成18年4月16日告示、同月23日投票と決めた。即日開票される。
【平成14年4月14日富良野市長選挙結果】
任期満了に伴う富良野市長選挙は平成14年4月14日投票、即日開票され、現職の高田忠尚氏(たかだ・ただなお、58歳)市長が、新人の千葉勲(ちば・いさお、56歳)前同市議会副議長を破り3選を果たした。
千葉氏は、地域高規格道路建設の白紙撤回を強調したが、現職の高田氏は農業、観光振興には同道路の建設が必要と訴え票の流出をくい止めた。
高田氏は、昭和18年8月15日生、富良野市出身、38年道上川支庁農業学園修了。38年農業従事、46年北海道青年会館理事、52年富良野農業協同組合理事、平成2年同第1理事、6年5月市長就任。
有権者数 20,150人
投票者数 16,190人
投票率 80.35%
無効票 162票
当選 高田 忠尚 8,714票
千葉 勲 7,307票
【平成14年富良野市長選挙経過】
□平成14年1月29日、連合富良野・民主党ふらのに出馬を要請されていた千葉勲(56歳)同市議会副議長が、平成14年4月7日告示の同市長選挙に出馬する意向で、議員辞職願を同議長に提出、受理された。
千葉氏は、昭和20年7月20日、富良野市出身、旭川工業高卒。富良野市議会議員(6期)、同副議長、市消費者協会長。
□平成14年1月23日、富良野市選挙管理委員会は次期市長選挙(任期満了は平成14年5月14日)の日程を平成14年4月7日告示、同14日投票と決めた。即日開票される。同時に現職市議の死亡に伴う同市議補選も行われる。
□平成13年12月14日、現職の高田忠尚氏(たかだ・ただなお、58歳)市長は定例市議会で次期市長選挙(任期満了は平成14年5月14日)に3選を目指して出馬することを表明した。
高田氏は、昭和18年8月15日生、富良野市出身、道上川支庁農業学園修了。富良野農業協同組合第1理事。平成6年5月市長就任。現在2期目。
【平成10年の富良野市長選挙結果】
□平成10年4月19日投票
任期満了に伴う富良野市長選挙は平成10年4月19日投票、即日開票され、現職の高田忠尚氏(たかだ・ただなお、54歳)が、新人の宮田均(44歳)を破り再選を果たした。
高田氏は、昭和18年8月15日生、富良野市出身、道上川支庁農業学園修了。富良野農業組合理事。平成6年5月市長就任。連合富良野が対立候補擁立を断念、過去最低の投票率66.13%となった。
当日有権者数 20,148人
当日投票者数 13,323人
投票率 66.13%
当選 高田 忠尚 無現 9,421票
宮田 均 無新 3,036票
【平成10年市長選挙後の動き】
富良野市 高田市長入院
□平成11年3月14日、高田忠尚(55歳)市長は急性心筋梗塞で旭川市内の病院に入院。同市長の職務代理者は助役の能登芳昭氏。
【過去の富良野市長選挙結果】
□平成6年4月24日投票
現職の滝口革新市長破れる
任期満了に伴う富良野市長選挙は平成6年4月24日投票、即日開票され、新人の高田氏(50歳)が、現職の滝口市長(75歳)を破り初当選した。現職に対する高齢、多選批判が大きかった。
当日有権者数 19,965人
当日投票者数 17,622人
投票率 88.26%
当選 高田 忠尚 無新 10,194票
滝口 国一郎 無前 7,256票
□平成2年4月22日告示
任期満了に伴う富良野市長選挙は平成2年4月22日告示され、現職の滝口市長以外に立候補の届け出がなく、同氏の4選が決まった。
滝口氏は、大正7年富良野市出身、水上農業学校卒。富良野町産業課長、富良野市経済部長、同教育長を歴任し、昭和53年5月市長選に出馬し市を二分する激戦の末初陣を飾った。
□昭和61年4月20日告示
任期満了に伴う富良野市長選挙は昭和61年4月20日告示され、現職の滝口市長以外に立候補の届け出がなく、同氏の3選が決まった。
□昭和57年4月25日投票
任期満了に伴う富良野市長選挙は昭和57年4月25日投票、即日開票され、現職の滝口市長が、新人の小田島氏を破り、再選を果たした。
当日有権者数 19,704人
当日投票者数 16,042人
投票率 81.41%
当選 滝口国一郎 無前 10,430票
小田島力雄 無新 5,391票
□昭和53年4月23日投票
革新市政、滝口市長誕生
任期満了に伴う富良野市長選挙は昭和53年4月23日投票、即日開票され、新人の滝口国一郎同市前教育長が、同じく新人の佐藤康夫同市前建設部長を破り、初当選した。
当日有権者数 19,677人
当日投票者数 18,297人
投票率 92.99%
当選 滝口国一郎 無新 9,464票
佐藤 康夫 無新 8,767票
□昭和49年4月21日投票
任期満了に伴う富良野市長選挙は昭和49年4月21日投票、即日開票され、現職の高松氏が、新人の吉田氏、同じく新人の須賀氏を破り、8選を果たした。
高松氏は、大正15年から昭和15年教員、その後富良野役場入り、戦後22年同助役、30年現職の古東久平町長を破り町長に、41年市制施行で市長に。
当日有権者数 19,140人
当日投票者数 17,772人
投票率 92.85%
当選 高松 竹次 無前 8,354票
吉田 勝男 無新 8,304票
須賀 賢 無新 1,017票