平成18年 10月 任期満了による市長選挙(旭川市・網走市を除く)
任期満了による市長選挙
○岩見沢市長選挙(10月19日任期満了)
・任期満了
○岩見沢市長選挙(10月19日任期満了)
【現職の渡辺孝一氏の経歴】
渡辺氏は、東京出身、岩見沢東高校、東日本学園大卒(北海道医療大学)、岩見沢で歯科医を開業、同青年会議所理事長、岩見沢市PTA連合会会長。平成12年の衆院選で自民党の公認を得られず出馬断念。平成14年市長就任。現在1期目。
【新「岩見沢市」の誕生】
□平成18年3月27日、新「岩見沢市」は、岩見沢市が旧栗沢町と旧北村を編入し合併した。「平成の大合併」で空知管内では唯一の合併で、千歳市を抜いて道内11番目の人口規模となった。旧栗沢町、旧北村に支所を置き特別職の地位で旧同町村助役が支所長に就任。人口は93,672人、面積は535平方キロ。
□平成18年3月26日、栗沢町が岩見沢市に編入により、同町の現職町長・山田晃睦(やまだ・てるよし・69歳)氏は失職した。4期目途中の失職で任期満了は平成19年4月30日まであった。
山田氏は、昭和9年4月16日生、栗沢町出身、中央大法学部卒。造船会社社員、札幌テレビ放送株式会社アナウンス部長。昭和62年4月に町長選挙に出馬、新人の今村幸一氏に1千数百票の差をつけて初当選。
□平成18年3月26日、北村が岩見沢市に編入により、同村の現職村長・村上宗範(むらかみ・むねのり、70歳)氏は失職した。3期目途中の失職で、任期満了は平成19年3月30日まであった。
村上氏は、昭和11年1月11日生、北村出身、道立月形高卒、自治講習所修。同村産業課長、総務課長、企画課長、収入役を歴任。平成7年3月村長就任。
※廃町村の詳細は行政選挙情報No-394に掲載
【平成14年10月6日岩見沢市長選挙結果】
新人の渡辺氏(44歳)大差をつけて当選
任期満了に伴う岩見沢市長選挙は平成14年10月6日投票、即日開票され、新人の渡辺孝一(わたなべ・こういち、44歳)歯科医師が、現職の能勢邦之(のせ・くにゆき、67歳)市長と、新人の木村衛(いむら・まもる、63歳)岩見沢労働組合総連合事務局長を破り初当選を果たした。
能勢市政の官製談合疑惑で公正取引委員会が調査に入り、市の対応が不透明で、市民に説明責任を果たさなかった能勢市長への政治責任批判が大きかった。今年の横浜市長選挙(3月)のように行政経験豊かな現職の多選候補が敗れ、若い新人の行政刷新を訴える候補が勝利する「首長を変え、今から改革=世代交代」の流れは全国的に拡大していりる。
渡辺氏は、東京出身、岩見沢東高校、東日本学園大卒(北海道医療大学)、岩見沢で歯科医を開業、同青年会議所理事長、岩見沢市PTA連合会会長。平成12年の衆院選で自民党の公認を得られず出馬断念。
有権者数 67,428人
投票者数 41,468人
投票率 61.50%
無効票 486票
当選 渡辺 孝一 20,158票
能勢 邦之 16,065票
木村 衛 4,759票
【岩見沢市長選挙経過】
□平成14年9月6日、木村衛(63歳)岩見沢労働組合総連合事務局長は平成14年9月29日告示される岩見沢市長選挙に出馬することを表明した。
木村氏は、栗沢町出身、岩見沢東高定時制、酪農学園大学酪農学部卒。公立高校教諭、高教組空知支部長、岩見沢労働組合総連合事務局長を歴任。
□平成14年8月8日、現職の能勢邦之(のせ・くにゆき、67歳)市長は平成14年9月29日告示される岩見沢市長選挙に4選を目指して出馬することを表明した。
能勢氏は、昭和9年12月22日生、岩見沢市出身、岩見沢西高卒、北大大院法学部修。自治省入省、国土庁官房審議官、自治省官房審議官、自治体国際化協会専務理事を歴任。平成2年10月市長就任。現在3期目。
□平成14年7月30日、渡辺孝一(44歳)歯科医師、故・渡辺省一元衆議院議員の長男が平成14年9月29日告示される岩見沢市長選挙に無所属で出馬することを表明した。
渡辺氏は、東京出身、岩見沢東高校、東日本学園大卒(北海道医療大学)、岩見沢で歯科医を開業、同青年会議所理事長、岩見沢市PTA連合会会長。平成12年の衆院選で自民党の公認を得られず出馬断念した経過がある。
□平成14年7月29日、岩見沢市選挙管理委員会は次期市長選挙(任期満了は平成14年10月19日)の日程を平成14年9月29日告示、10月6日投票と決めた。即日開票される。同時に同市議会議員の補欠選挙(欠員1名)も行われる。
現職の能勢邦之(のせ・くにゆき)市長はまだ出馬表明はしていない。
【平成10年10月4日岩見沢市長選挙結果】
任期満了に伴う岩見沢市長選挙は平成10年10月4日投票、即日開票され、現職の能勢邦之(のせ・くにゆき、63歳)市長が、新人の前市議・元道議吉田英治(72歳)氏、同じく新人の同市元市民福祉部長谷口洋一(58歳)を破り3選を果たした。
能勢氏は、昭和9年12月22日生、岩見沢市出身、北大法学部卒。国土庁官房審議官、自治省官房審議官、自治体国際化協会専務理事を歴任。能勢氏の父は岩見沢市議を務め22年と26年の市長選に革新系から出馬し落選、また吉田英治氏(市議時代)の後援会長だった。
当日有権者数 66,982人
当日投票者数 42,078人
投票率 62.82%
当選 能勢 邦之 無現(自民・民主推薦) 16,380票
吉田 英治 無新 15,314票
谷口 洋一 無新 9,840票
《解説》
能勢VS吉田――因縁の対決に決着
まさに因縁の対決だった。10月4日、投開票が行われた岩見沢市長選は現職の能勢邦之が接戦を制して逃げ切った。しかし、能勢の得票数を大きく上回る2万5千票強もの批判票が能勢市政に対する市民の不満を如実に物語っている。三選を飾った能勢市長だが、庁内外での求心力は揺らぎ始めており、水面下ではポスト・能勢に向かっての動きに拍車がかかりそうだ。(敬称略)
任期満了に伴う岩見沢市長選は、現職の能勢に弓を引く形で市役所市民福祉部長だった谷口洋一が昨年12月、早々と出馬表明したことで混乱劇の幕が開けた。これに市長選に 3度目の挑戦となる元道議で市議を辞して出馬した吉田英治が参戦、三つどもえの展開となった。
その前に過去の市長選を振り返ってみたい。能勢の前任として5期20年間市長の座にあったのが国兼孝治。国兼が市総務部長から市長選に出馬した際、対抗馬として革新系から出たのが市議だった吉田だ。結局、国兼は 5期連続で市長を務め上げるが、吉田は後に道議に転じて 4期連続当選を果たす。つまり岩見沢の政界を代表するポストを国兼と吉田が分けあってきたことになる。しかし、吉田には市長ポストへの執着心は消えることはなかったようだ。
吉田が再び市長選に燃えた8年前、国兼の後継として岩見沢出身で自治省のエリート官僚だった能勢に出馬の打診があった際、吉田とは戦いたくない事情があったという。能勢の父・実は市議時代の吉田の後援会会長を務めたほか、昭和22年、26年に実が市長選に出馬、惜敗した当時、地区労の活動家だったが吉田が能勢の家に泊まり込んで戦ったからだ。吉田にも逡巡する気持ちがなかったわけではない。当時の横路道政を支える社会・道民連合は少数与党として綱渡りの議会運営を強いられており、長老の吉田が道議会から去ることの影響は少なくなかった。当然、周囲は「晩節を汚す」「負ければ政治生命はない」などと翻意を促したが、もともと権力志向の強い吉田には市長選しか頭がなかった。結果は 4千票の大差で能勢が初陣を飾り、因縁の対決に終止符を打ったかに見えた。
しかし、因縁の対決は再び巡ってきた。それもこれも能勢の不徳の致すところだろう。市民の間には「除排雪が不十分」「図書館や市民会館の整備が遅れている」など能勢姿勢への不満が広がっており、前回、能勢を支持した岩見沢地区連合は推薦を見送った。
こうした批判を背景に早々と出馬を表明した谷口は政策宣伝ビラを全戸配布するなど、きめ細かな活動を展開してきた。吉田氏は同氏の後援会や共産党などで構成する「新しい市政をつくる会」の推薦を受け、9月に入り急きょ名乗りを上げた。70年、90年に続く三度目の市長選出馬となったが、出遅れや72歳という高齢も影響してか、能勢の16,380票に対して15,314票と、いま一歩及ばなかった。知名度を生かして健闘したといえるが、前々回の市長選敗北後、道議から市議に転身してまで市長の座に固執した吉田の執念もここにきて力尽きた。
それにしても谷口の9,840票を加えると、批判票が25,000票を超えたことになり、能勢にとって今後の市政運営は極めて厳しいものになりそうだ。
【過去の岩見沢市長選挙結果】
□平成6年10月2日投票
任期満了に伴う岩見沢市長選は平成6年10月2日投票、即日開票の結果、現職の能勢邦之市長(59歳)が、新人の梅木和朗氏(66歳)を破り、再選を果たした。
市長公選になって以来2番目に低い投票率で、能勢市政への批判票が8,000票を超えた。
当日有権者数 63,836人
当日投票者数 30,327人
投票率 47.51%
当選 能勢 邦之 無前 21,053 票
梅木 和朗 無新 8,341 票
□平成2年10月14日投票
任期満了に伴う岩見沢市長選は平成2年10月14日投票、即日開票の結果、新人の能勢邦之氏が、同じく新人の吉田前道議会議員、高橋氏を破り、初当選した。
敗れた吉田氏は、昭和45年に市長選に出馬し国兼前市長に大敗、翌46年に市議選でトップ当選した。
当日有権者数 59,533人
当日投票者数 46,074人
投票率 77.39%
当選 能勢 邦之 無新 24,197 票
吉田 英治 無新 20,158 票
高橋 幸男 無新 1,531 票
□昭和61年10月5日投票
任期満了に伴う岩見沢市長選は昭和61年10月5日投票、即日開票の結果、現職の国兼市長が、新人の喜多氏を破り、5選を果たした。
当日有権者数 57,528人
当日投票者数 29,979人
投票率 52.11%
当選 国兼 孝治 無前 22,386 票
喜多 忠男 無新 6,445 票
□昭和57年10月3日投票
任期満了に伴う岩見沢市長選は昭和61年10月5日投票、即日開票の結果、現職の国兼市長が、新人の安彦氏、きた氏、鈴木氏を破り、4選を果たした。
当日有権者数 55,245人
当日投票者数 44,990人
投票率 81.44%
当選 国兼 孝治 無前 25,463 票
安彦 昭 無新 16,623 票
きた 忠雄 無新 2,520 票
鈴木 博 無新 151 票
□昭和53年10月8日投票
任期満了に伴う岩見沢市長選は昭和61年10月5日投票、即日開票の結果、現職の国兼市長が、新人の千葉氏を破り、3選を果たした。
当日有権者数 51,148人
当日投票者数 39,714人
投票率 77.65%
当選 国兼 孝治 無前 22,728票
千葉 国雄 無新 16,853 票
□昭和49年10月6日投票
任期満了に伴う岩見沢市長選は昭和61年10月5日投票、即日開票の結果、現職の国兼市長が、新人の千葉氏、梅木氏を破り、再選を果たした。
国兼氏は、大正6年11月20日生、奈井江町出身、自治講習所修。昭和14年軍隊入隊、17年同市役所入り、18年再入隊で樺太、終戦後豊原収容所(3年間)、市役所復職、37年総務部長。45年10月、吉田英治前社会党総支部長を破って市長就任。
当日有権者数 47,405人
当日投票者数 32,880人
投票率 69.36%
当選 国兼 孝治 無前 22,190 票
千葉 正美 社新 7,266 票
梅木 和朗 共新 3,266票