October.2008

創刊に寄せて
 世界規模で食糧難が深刻化しつつある状況は、以前から指摘されてきたが、原油高騰による生産・流通コストの上昇と、その代替エネルギーを穀物に求めるようになったこの数年から、その動勢は一気に加速した。世界の発展途上国で飢饉に苦しみ、暴動が勃発し、一国の政府が政権交代にまで追いやられる事態となっている。しかもBSE、インフルエンザ、中国食品の毒物混入、産地偽装などで、それまで疑いもしなかった食の安全性と信用性が根底から覆され、食糧不安に追い討ちをかける格好となった。それだけに品質が高く、安全性が確実で、受給バランスが適正な食糧供給は、世界に共通する今日的な課題である。
 ところが、我が国は今なお自給率が40パーセント弱で、その次に低いのがイギリスの75パーセントであるから、その国内総生産の偏重ぶりは、常軌を逸していると言わざるを得ない。工業品輸出と食糧品輸入の交換条件に基づき、食糧政策をおざなりにしてきたツケが回ってきた結果だ。かつて工業輸出大国として先進国の仲間入りした経済大国は、反面では自給率が最下位の輸入大国で、食糧危機の今日では世界のお荷物でしかない。
 今や各国とも自国民の食糧確保のために輸出規制に乗り出しており、日本の窮状などに目を向けている余裕などはなく、「頼めば何とかしてくれるだろう」とはいかないのが現実である。このまま輸入依存の食糧弱者で暮らし続けるなら、いずれは世界から見離されるだけだろう。したがって、今さら日米間の食の安全保障どころではなく、食の自立は否応無しに実現しなければならない緊急課題である。
 そうした情勢を背景に、自給率が200パーセントに及ぶ北海道の生産力と、寒冷気候の清潔な風土で生み出される農水産物の可能性は無限大である。これまでは欧米資本による西洋食の拡大路線に乗せられ、各国とも食生活が西洋風に変化し、自国の生産物と食文化がそれに侵食される形となっていた。だが、グローバリゼーションは一方的なものではなく、双方向のものであり、欧米では健康食として日本食が逆に評価されるなど、受け手が同時に発信者という状況でもある。
 一方、食の持つ教育的側面にも関心が持たれるようになり、学校教育だけではなく食育という新しい教育手法が注目されるようになった。いわば、食を通じて人間性や国民性などを再確認しようとする精神的な動向といえるだろう。素材の生産から加工、流通、調理、そして食の作法に至るまで、すべてに文化と思想があり、それを見直して教材に活用しようという発想は正しい。こうした食の持つ奥深さを追求し、描出することを編集目標として本誌創刊に至ったものである。


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