February.2006

 日本は昨年からデフレ不況が収束し始め、回復局面に到達し、今後は緩慢ながらも2%代の成長軌道に乗ると展望されている。とはいえ、それも都市部限定の話で、しかも一部業種に特化していることから、地方を含めて全国民に波及することは、あまり期待できない。だからといって、ふて寝してもいられない。埒外に置かれた不況業種でも、回復基調の波に乗るにはどうすれば良いのかを自主的に考え、経済循環の一員として参加していくための企画と行動が必要だ。
 昨年からの回復基調は、各企業の在庫調整とバランスシートの改善、外資企業進出に伴う設備投資と民需拡大、雇用・家計所得改善による消費拡大が主因とされる。その結果、地価、株価ともにバブル崩壊直後のレベルにまで回復しつつあるが、バブルに至らないのは原油価格の高止まりと、素材分野でなお在庫調整が課題として残っていることが、歯止めとして利いているためだという。また、株や土地運用についても、かつてのように転売益だけを目的とする投機ではなく、投資先の生産力向上と、それによる収益を通じて配当を得ようとする、健全な投資マインドに基づくことも経済の堅調さを裏支えしているのだろう。
 さらに、以前のような公共事業によって全国津々浦々にまでインフラ整備を行い、片田舎にまで人や物を誘導し、経済を行き渡らせる政策的公共投資ではなく、都市部への選択と集中によって、配当をより短期間で得やすい戦略的公共投資へと、政府は政策を転換した。それと相乗するように、企業も市場性を最優先し、都市部に厳選して設備投資を行うことで、合理的な経済循環が生み出された。
 バブル期には市場というものを政策的に創出し、その新天地に企業も相乗りする形で経済循環を確立しようという、いわば開拓者的な冒険が見られたわけだが、その失敗に懲りてからは、市場を人為的に創り出すという造物主的な傲りを捨て、最初からある市場を熟成、拡大し、囲い込む合理的な戦略へと舵を切ったお陰だと言えよう。
 こうしたトレンドが保守本流となった今日、市場性の低い過疎地にあって、しかも官民ともにコストダウンの対象とされてしまった業種などは、どう足掻いても回復局面に乗ることは難しいだろう。産業構造の変化による結果と諦めて、異業種に転業するか、業界再編に協力するか、あるいは経済の表舞台から退場する以外に選択肢はなくなる。だが、そもそもその業種が必要とされた理由は何だったのか、その業種に参入した動機は何だったのか……起業の原点を見つめ直すと、現状における等身大の市場規模と、それに見合った産業規模、そして各企業としての適正規模が見えてくる。同時に、投資と消費の集中が都市部に限定され、その空間でこそ市場性が確立されているならば、思い切ってそこに活路を切り開く覚悟も必要だろう。地場製品の地場消費を奨励する地産地消の確立も有意義ではあるが、域内だけの経済循環には自ずと限界がある。外貨を得ない国は早晩滅ぶ運命にあるもので、地場製品による域外収入を獲得する工夫と努力が重要だ。
 現在、収益増で好況を謳歌している業種は、言うまでもなく最初から増収の恩恵に浴しているのではない。直面する市場規模に、企業規模と形態を合わせる努力を各企業が遂行し、その総体として産業規模も市場規模に見合ったものとなり、均衡した結果であろう。同時に、欧米などの従来市場だけではなく、中国、台湾、韓国、インドなど、新興市場でも受け入れられるだけの製品開発に成功した結果でもある。
 日本経済の辺境に生きるローカル企業にとっても同様で、ローカライズの一方で、ジェネライズに向けたマイナーチェンジを、合わせて考慮すべき時代が来たのだといえよう。


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