Decenber.2006

 政府がデフレ脱却を宣言し、日銀がゼロ金利を解除して、日本経済は回復・成長局面へ向かい始めたと喧伝されるものの、実感がないとする報道が専らだ。企業収益が回復しても、従業員の人件費に反映していないことが端的な原因ではあるが、かつての価格破壊とデフレという悪夢の上に、不安定な中東情勢と原油高への警戒感が企業側に根強いこともあるのだろう。麻生外務相ではないが、「良かった、良かったと赤飯を炊ける状況にはない」のである。ささくれだった企業マインドを和らげるためには、政府・自治体の財政出動が必要である。
 今日の景気回復は、構造改革以前のような万民に行き渡る回復ではない。むしろ、二極化が進展し、大多数の貧乏人と少数の金満者との格差をより一層、拡大する形で迎えた。このため、方や郊外のユニクロや100円ショップに群がる一方で、方やオフィス街に進出した高級ブランド品専門店に出入りする富裕層がいて、消費構造も二極分化の様相だ。もっとも、後にユニクロもダイソーも苦戦を強いられることになったが、それは一部の消費マインドの変化により、箪笥にストックされた富裕層の私財が、景気回復局面を受けて、徐々に高級品市場に流れ始めた趨勢も背景にあるだろう。もちろん、万民が金満家になる必要はなく、安売り商品を調達しながらも生活が成り立つうちはまだ良い。しかし、今なお各種保険料負担を負いきれない非正規雇用勤労者は多く、それが引いては財政再建の足枷となっていたり、社会保障システムの存続に関わる問題ともなっている現況に、メスを入れる必要がある。
 企業が経済効率を高めるのは当たり前だが、結果としては終身雇用制が崩れ、能力主義が大幅に導入され、かつては勤労者にとって出世の足がかりであったライン制の組織体制が縮小し、スタッフ制(グループ制)がそれに取って代わった。それと同時に、雇用形態も多様化した。これは雇用の間口を広げるためのワークシェアリングとして無効策ではないが、能力主義の導入はむしろ低所得者を増やす結果になったと見るべきだろう。客観的に納得される個人評価システムが確立されたかどうかの問題もあるが、30代、40代の働き盛り世代の鬱病や自殺が増えている近年の動向を鑑みると、リストラは個人の職務負担の激増をもたらし、負担能力を超えたところで評価ラインが標準設定されたため、ドロップアウトして低所得者の仲間入りとなる勤労者が増加したと見られる。
 家計所得の低下は、市場に対して否応なしにデフレ圧力をもたらす。それは、価格下落圧力となり、企業収益に反映する。いかにITによる生産管理技術や在庫調整技術が発達したところで、原価は原価として用するのであるから、企業は自らの首を絞める結果にしかならない。しかも、米資産家による重油投機が治まったお陰で、重油価格の高騰は幾分、沈静化したものの、中東情勢の不安定さは懸念材料として払拭しきれない。
 こうした構図は巨視的に見ても同様で、国民所得の低下は政府・自治体の税収、保険料収用率の低下をもたらす。「景気回復」と口先で喜んではみても、悪循環を断ち切ったと言える状況にはない。拡大再生産へと向かう真の景気回復を実現させるには、まず企業のデフレに対する過剰な防衛心を和らげ、安心させる政策が必要だろう。そのためには、今こそ経済政策として100パーセントの効果が期待できるだけでなく、投資結果から120パーセントの配当を生み出せる真の公共投資が必要だ。
 ただし、間違っても投資段階で100パーセントを割るような、吝嗇契約はすべきではない。最低価格の75パーセントが落札基準となっているようでは、むしろ政府・自治体がデフレスパイラルを誘導しているようなもので、景気対策の逆をやっていることになる。公共投資の現場を見れば、発注者は積算段階だけでなく、執行段階でもどれほど支出を削減したかを競い、成果を自慢し合っているが、それは財政再建への貢献にはなっても、一国の経済再建においては、むしろ危害を加える結果にしかならないことを肝に銘じて欲しい。


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