October.2007

 紀子妃の男児出産で、全国がお祝いムードに包まれた。これによって1,500億円の波及効果が見込まれるとする、第一生命の気の早い試算もあり、デフレ脱却宣言と景気回復を後押しするかのような明るい一大イベントとなった。新しい生命の誕生を純粋に祝福するのはもちろんだが、少子高齢化の進行が懸念されている暗い時勢柄、少しでもその打開要因となることを期待したい。
 男児による世襲を前提とする天皇制のゆえに、皇太子様の長女を継承者として公認し得るよう、皇室典範の改正が論議されてきた。歴史的に例外はあるものの、男児一系を基本とする皇統を変革するのは、歴史解釈やイデオロギーも巻き込む問題でもあるため、その改訂審議に当たる学識経験者や関係者らの頭を悩ませてきた。もっとも世界各国では、今どきプリンスの存在だけしか容認しない現行制度を時代遅れと認識してか、疑問の声も多い。しかし、今回の男児出生によって、その火急性は遠のいたといえよう。
 だが、男児出産の慶びの陰で、傍目にも気の毒なのは男児に恵まれない皇太子妃・雅子様の立場である。国民の歓喜が大きければ大きいほど、面目ない思いが募って身の置き所がないというのが、心中ではないだろうか。それを慮れば、表向きは慶びたいが、あまり声高に慶ぶのも憚られるという皮肉な状況である。男女生み分けなどが話題となっているが、男児出生が個人の希望でなく、国民の公的希望となっていることから、皇女となった女性たちのプレッシャーたるや察して余りあるものがある。
 本来、こればかりは誰を責めることも出来ない問題である。そもそも子は神からの授かりものであるという、大和民族の古典的な生命観を以て見る大らかな視点も必要だろう。そう考えれば、主張は様々にあろうが、女性天皇の可能性を持たせた典範論議だけは、今後も継続するべきだろう。
 一方、これによって従来のように、いわゆる「あやかり昏」が一時的にも増え、さらにベビーブームへと拡大すれば、少子高齢化の歯止めとまではならずとも、少しはその進行がスローダウンすることを期待したい。それが引いては、重大問題となっている財政問題、年金問題、国保問題など、国民生活に直結した諸問題の解消の一助になるといった好循環に結びつくよう願いたいものである。
 ところが、これに水を注すようにして、産科医・小児科医の人員不足が社会問題化している。医師不足のために、わずかな定員で過酷な勤務体制となっていたり、助産の専門知識を持たない看護師を、助産に当たらせるケースも発覚するなど、周産期医療を取り巻く状況は深刻だ。子供が少ないから需要がなく、需要がないから病院経営が成り立たず、経営が成り立たないから経営者も産科医のなり手も少なくなり、安全に分娩できる環境がなくなったので、女性も出産に二の足を踏み、そしてさらに子供が少なくなるという悪循環を解決しなければならない。
 しかも、近年は変質者による犯行やDV、虐待などで、社会の財産ともいうべき子供たちの命が犠牲になる荒んだ世相でもある。コミュニティの治安向上とともに、育児経験のない若い両親が必要以上に心理的経済的負担を負ったり、精神状態が荒むような事態を回避するようなサポート体制も必要だろう。そのための個人や企業、地域社会の努力や協力も必要だが、それには限界がある。人口は国力のバロメーターであることを思えば、政府、自治体による公共投資は、大いに行うべきだろう。


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