April.2008

 道路特定財源によって職員のためのスポーツ器具を購入したり、格安旅行に行ったりと、その存続論議はいつしか使途に対する告発・批判へと変質してきている。公金使途に対する問題は、かつて旧大蔵省や自治体、近年では厚労省、社保庁で発覚してきたが、暫定税率論議が引き金となって、ここにも飛び火した格好だ。

 一方、国民生活の実態を見ると、労働者人口の3分の1が非正規雇用の低賃金労働者で、その待遇改善策がようやく進められつつある。経済成長率は2パーセントと言われながらも、国民生活はむしろ衰退の様相で、日銭欲しさによる短絡的な事件も発生している。荒んだ世相を正すには、官民ともに国富の再分配、所得の再分配というものについて、真剣に考え直す必要があるのではないか。

 最近になって、大手ファーストフードチェーンで訴訟にまで発展した「名ばかり店長」に見られるように、企業側が処遇の伴わない従業員の責任と超過勤務の恩恵にあずかる「名ばかり管理職」の問題が表面化した。業績改善とは言いつつ、実態は不当な労働搾取がその源泉となっている側面が露呈した。

 国家や組織なくして人の暮らしは成り立たないが、人なくして国家や組織も成り立たない。企業は外需だけで収益を上げ、国家はそれに付随する税収だけで財政が成り立つなら話は別だが、現実には政府をはじめ、ほとんどの自治体が財政難であり、企業は一部業界を除いて、大半が経営難である。このため、過剰な組織防衛の意識や、仲間内だけで富の寡占による境遇保証を図ろうとする抜け駆け意識は、理解できなくもない。

 しかし、収益を上げて、税金を納めて社会を維持しているのは、国民であり従業員であることを、官民ともに組織運営に当たる人々は強く自覚する必要がある。国富や所得を正当に還元し、内需拡大を図って資金の循環を生み出さない限り、我が国は早晩スタグフレーションの悲劇に見舞われ、やがては組織も人も共倒れになる。失われた過去20年間を振り返り、タンス預金がもたらした経済的疲弊を再び思い起こすことが必要だろう。

 中国食品の農薬混入騒動や、自然保護団体による調査捕鯨への妨害など、日本の食卓をめぐる周辺事情は騒がしい。日本は、いつまでも4割の食糧自給率のままで良いのだろうか。

 かつて、米国産牛肉が禁輸され、牛丼チェーン店では看板商品の牛丼が供給できなくなり、それを不満に思った35歳の客が店内で暴行事件を起こした事例があった。酩酊していたとはいえ、35歳で分別ある者が暴行事件を犯してまで求める人気商品であれば、多少は高くとも需要はあろう。なぜ国産牛を使用しないのかと、疑問に思ったものである。

 中国当局は、北京五輪に向けて国際的信用を落とさぬことに躍起で、およそ70以上の品目について、品質管理の徹底策を公表した。しかし、報道を見る限り、末端生産者の意識は低く、使用が禁じられた在庫農薬を消化するまでは、こっそり使用し続けることを言明する農家もあった。消費者はそれを先刻承知で、野菜を洗剤で長時間洗って使用しているという。

 これを見るにつけ、生産地や生産者のデータまで公表している我が国の食糧生産と供給体制は、いかにレベルが高くて、高品位であるかが分かる。貿易収入のための商業農家を抱えるアメリカからの圧力はあるが、ことある毎に食の安全が脅かされている我が国の食糧事情を顧慮すれば、やはり自給率向上の不断の努力は必要だ。日本国民の食と健康、引いては生命を守ることは、国家の使命でもあるはずだ。


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