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最近になって、若者の間で小林多喜二の「蟹工船」が読まれているという。閉鎖的な加工船の中で労働搾取に抵抗し、立ち上がる労働者の苦闘を描いた作品だが、共産主義者や労働活動家などは非国民と指弾された、レッドパージも同然の軍国時代で、作者は悪法の誉れ高い治安維持法下の特高警察による拷問によって虐殺された。そんな動乱時代の書が、いまさら再評価されるのは、ネット喫茶難民などのワーキングプアと呼ばれる若者達の、辛さと悔しさを代弁しているからだろう。 労働搾取の過酷な実態は、古くから様々に記述されてきた。生糸工場で酷使される女工達の姿を追ったルポ「女工哀史」もそうで、後に映画化もされた。半ば奴隷労働に等しかった当時の工員、女工達も、安い時給で食いつなぎ、夜な夜なねぐらを探し求めて彷徨う現代の彼らも、重用されず、尊重もされず、単なる消耗品として利用されている基本的立場は、似たようなものである。蟹工船の次には「あゝ野麦峠」が愛読されるかも知れない。 そうした社会的弱者を救う試みも行われてきたが、道は平坦ではなかった。富の著しい偏在が生み出す格差社会を改革すべく、リベラルなアナーキストとして活動していた社会主義活動家の大杉栄は、憲兵だった甘粕大尉によって殺害された。軍法会議は、軍部に対する世論の非難を回避すべく、甘粕大尉の個人的犯罪にすり替えて終結したが、その軍部内でも、格差社会の不条理に憤慨した将校らによって、2.26事件が発生した。 戦後は、占領軍の主導によって反共民主化が進められたが、その過程で行われたレッドパージへの鎮静剤ではないかと、今なお疑惑視される下山事件なども発生した。そして、日本版の旧式FBIとも言える公安調査庁が組織され、日本共産党は破防法指定団体に指定された。 だが、それで反共民主体制が完璧に定着したとも言えず、60年代から70年代にかけては、全国の学生達が、反戦ソングを唄いながら徒党を組んでクーデターを志した。結果的には、浅間山荘事件という革命の理念とはおよそかけ離れた私欲と嫉妬の支配する狂気と迷走に呑まれる形で、学生紛争の時代は事実上の終焉を迎えた。 そして、東ドイツやルーマニアなどの東欧共産国が崩壊し、ついには共産主義発祥国であるソ連までが、70年に及んだ思想・体制を放棄した。そこにいたって、コミュニズムが希求したユートピア思想も単なる幻影と化し、かつて新世界の新しいパラダイムとして期待された社会主義や、その延長にあって終局点とされる共産主義は、過去の遺物となった。 国民経済の成長とは別に、バブル景気によって、労組では組合員から集めた組合費で、資本家まがいの暮らしをするダラ幹と呼ばれる労働貴族なども出現し、そのために組合離れが進んで構成率は著しく低下。かつて理想郷を夢見てゲバ棒を振り回した学生達も、いまや企業、行政などの組織の上層部にあり、首脳陣として君臨する世代である。 働けど働けど、我が暮らし楽にならざり…と嘆き、じっと手を見たのは、文学を志して新聞記者から詩人となった石川啄木だが、現代の若者も同じ思いで手を見つめているのだろう。そして、企業のほしいままに利用される無力な我が身の姿を、蟹工船の中に見ているのかも知れない。その無念が、いずれは憤懣のエネルギーへと変化して暴発するのではないかとの不安を覚える。かつて、権力の不正とそれによる社会的不平等に怒りを覚え、暴徒の行いも経験したかつての若者達は、現代の若者達の暴徒化を防ぐ手だてを考えねばならない時がくるかも知れない。 | ||||
過去の路地裏問答 | ||||