寄稿/安全安心・潤い・憩いの木曽三川

寄稿/安全安心・潤い・憩いの木曽三川

安全安心・潤い・憩いの木曽三川

国土交通省 中部地方整備局 木曽川上流河川事務所


木曽川上流管内図

1.はじめに

中部地方の中心である濃尾平野を流れる木曽川、長良川、揖斐川の木曽三川は、長野、岐阜、愛知、三重、滋賀の五県に流域を持ち、9,100m2の流域面積を有する我が国でも有数の大河川です。この広大で肥沃な濃尾平野を背景に、木曽三川は古くから利用され、地域経済活動の重要な役割を果たしています。また、木曽三川は、流域の人々の憩いの場としても利用されています。
木曽川上流河川事務所は、木曽川、長良川、揖斐川本川の中流部や支川の伊自良川、牧田川、杭瀬川、根尾川等を管理しており、流域の住民の安全・安心を守るための治水対策、河川管理施設の機能を維持するための管理、河川環境の整備や保全、流水管理や国営木曽三川公園の整備、維持管理等を行っています。

木曽川三川

2.管内の主要な事業概要

木曽川上流河川事務所では、「安全安心」「潤い」「憩い」を大切にして河川・公園事業を推進しています。

【河川事業】

■木曽川
木曽川は、平成29年度から着手した一宮市起地区の堤防改修工事を継続して進めます。
河川環境では、岐阜県美濃加茂市において「かわまち大賞」を受賞、岐阜県可児市でも『かわまちづくり』と一体となった水辺空間の整備として、親水護岸の整備を実施し、木曽川沿川での「かわまちづくり」の推進を図ります。
■長良川
長良川は、上流に大規模ダムの適地がなく、効果的、段階的に治水安全度の向上を図るため、河道掘削等を継続実施します。また遊水地の検討も進めており、地域住民の意向を踏まえつつ、関係機関等と連携しながら早期の事業化を目指します。
犀川遊水地では、遊水地に流入する支川の整備に着手しており、継続して事業を進めます。
金華山付近は1300年続く鵜飼いが営まれ、良好な河川環境の保全が求められています。これまで河原固有植物の生育環境の回復、外来種の抑制の面から、砂礫河原再生事業を行ってきましたが、今後も継続してモニタリングを行っていきます。
■揖斐川
揖斐川は、運用開始から50年を越えた「横山ダム」と平成20年に運用を開始した「徳山ダム」の連携した洪水調節により、治水安全度は大きく向上しています。
しかし、揖斐本川や支川牧田川では、河道や堤防の断面が不足する箇所が存在しています。このため、今後も堤防整備、河道掘削を実施します。

【公園事業】

■国営木曽三川公園
国営木曽三川公園は沿川に13拠点が存在し、当事務所では、河川環境楽園、138タワーパークなど、6拠点を担当しています。
今年度は、岐阜県羽島市で一部開園している桜堤サブセンターの堤内地エリアの敷地造成や愛知県江南市にあるフラワーパーク江南では、二期エリア開園向けて管理施設整備の推進を図ります。また、愛知県稲沢市にあるワイルドネーチャープラザについては、河畔砂丘の保全と樹木管理を行っていきます。

【防災事業】

■大規模災害に備える取り組み
大規模災害発生時に迅速な災害復旧に不可欠な人員、資機材・物資を輸送するための広域防災ネットワークを構築するため、昨年度完成した長良川防災船着場のほか、河川堤防と高速道路を繋ぐ緊急開口部を既設揖斐川、木曽川に引き続き長良川への整備を推進します。
また、南海トラフ巨大地震発生時に全国から集結するテックフォースの広域進出拠点となる国営木曽三川公園河川環境楽園において、陸上自衛隊、中日本高速道路(株)と川島パーキングエリア緊急開口部の使用に関する協定を締結し連携をさらに深めています。

■犀川遊水地事業
犀川遊水地事業は、犀川流域の内水対策の一環として、「貯水池の容量を増大することにより貯留調整機能を増強し、排水機場による排水と併せて、長良川本川の負担を軽減しながら内水被害の軽減を図る」、「遊水地内の河道を整備することによって、内水の自然排水を促進する」ことを目的として、昭和56年に着手。事業区域は、全体で約100haで、そのうち約70haを遊水地(河川区域)とし、掘削した土砂を約30haの土地に盛土することにより、現況約140万m3の遊水地容量を約230万m3まで増強する土地区画整理事業と一体となった事業です。

平面図(犀川遊水地) ※区画整理事業によりショッピングセンターや公園を整備

 

横断図(犀川遊水地)


犀川の歴史

①一夜城
遊水地の一部には永禄9年(1566年)、木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)が一夜にして築いたとされる城跡があります。
築城当時は、木曽川が当地付近に合流(現在の境川の流路)しており、木曽川や長良川の上流から築城に必要な材木などを筏に組んで流し、城を作り上げたといわれている。
難工事であったが、木下藤吉郎は河の形、水の流れを利用し、見事成功させ、織田家中で頭角を現したため、別名「出世城」とも呼ばれる。

墨俣一夜城跡と右から長良川、天王川、犀川

②美濃路街道
また犀川遊水地の堤防は美濃路街道であり、東海道の宮宿(名古屋市熱田区)から分かれ、中山道垂井宿(岐阜県垂井町)に至る全長14里余(約55km)の街道跡です。
東海道の難所である「七里の渡し」を避けることができるが、美濃四川(現在の木曽三川とその支流)を渡河する必要がありました。
美濃四川が流れる美濃国内においては、街道として輪中堤の上、又渡しを利用していました。

③水害の歴史
犀川は、五六川や中川など地域の支川を集め、輪中堤である犀川受堤防(旧美濃路)の上流側(墨俣一夜城付近)にて、直接長良川本川に流入していました。
そのため洪水時には長良川の水が犀川に逆流するため、犀川流域はたびたび悪水(内水)による浸水被害に悩まされてきました。
岐阜県本巣郡南部の村は、安八郡との郡境になっている犀川受堤防を開削し、犀川を安八郡に貫流させるべく、積極的な運動を展開しました。

新犀川流路計画

④犀川事件

犀川事件

犀川流域では頻繁に浸水被害があったため、江戸・明治期以降、住民は内水排除のため、輪中堤中央から下流へ流路開削を要望。しかし計画のたびに、下流が反対して頓挫。
〇第一次犀川事件(昭和4年)
昭和初期に岐阜県が開削を計画(1)、下流は大反対。住民同士が1000人超の乱闘・流血騒ぎとなり、軍隊が出動し制圧したとの記録も残っています。
これにより、流路は中央部ではなく長良川沿いへ計画変更(2)され、昭和7~11年に改修(現在の新犀川)。
〇第二次犀川事件(昭和13年)
新犀川への排水は、犀川調節樋門で行うこととなったが、昭和13年の出水時、樋門操作の際、再度騒動となり、更に樋門が故障し操作不能となった。
そこで犀川から直接長良川にも排水できるよう、犀川溢流樋門を設置した。

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